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UPDATE|2022/06/26

二刀流フリーアナウンサー・塩地美澄、「最初は嫌だった」グラビアデビュー秘話

塩地美澄 撮影/山田健史

元秋田朝日放送アナウンサーで、フリーアナウンサーの塩地美澄。頭脳明晰でバラエティ番組などでも活躍するトーク力を有しながら、局アナ時代から注目を集めていたスタイルを活かし、グラビア界でも抜群の人気を誇っている。しかし現在の活躍にいたるまでの道のりは、決して平坦ではなかったという。彼女の原点と現在地、これからを語ってもらった。(前後編の前編)

【写真】歳を重ねてなお美しさ磨かれる塩地美澄 撮り下ろしカット【6点】

──現在、アナウンサーとグラビアの2刀流で活動されている塩地さんですが、今回は現在のご活躍にいたるまでの道のりを振り返りたいと思っています。秋田朝日放送でアナウンサーとなったのが塩地さんの原点になるのでしょうか。

塩地 そうですね。2006年に入社しました。

──もともとアナウンサーになりたいという思いがあったのですか?

塩地 アナウンサーになりたいとずっと思っていたわけではないんです。合唱団に入っていたことがあるんですが、その定期演奏会でカラースーツを着た女性のアナウンサーが司会をされていて。当時、あんなにビビットなネオンカラーのスーツを着られるのはアナウンサーしかいない、という憧れがありました。本格的に目指すようになったのは大学生になってからです。

──アナウンサーという職業に華やかさを感じていたんですね。

塩地 小学生くらいの頃から、教科書を読む声を周りに褒められていたんです。アナウンサーに「かっこいい」というイメージはずっと持っていましたが、どこかで「自分の将来を他の人に決めつけられるのが嫌だ」と思っていた時期もあって。高校に入学してすぐの頃、担任の先生から「この成績なら東大に入れるし、アナウンサーに向いてそう。声もいいから目指したら」と言われたんですが、小学校の頃も中学校の頃もずっと「アナウンサーがいいんじゃないか」と言われてきたので「また言われた」と。高校生で思春期だったこともあって、なんとなく反発心から「勧められるままにアナウンサーを目指すのは違うな」と思ってしまったんです。でも大学に入ってから、勉学が好きで、合唱やピアノ、ダンスもすごく好きだったので、勉学とエンタメのどちらも表現できる職業はアナウンサーなんじゃないかなと思って。本当に「アナウンサーがいい」と思えたのは大学生1年生の時だったと思います。

AUTHOR

山田 健史


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