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UPDATE|2022/06/26

二刀流フリーアナウンサー・塩地美澄、「最初は嫌だった」グラビアデビュー秘話

塩地美澄 撮影/山田健史



──当時はどんな心境だったのですか?

塩地 アナウンサーってそこを見られる職業ではないので、正直言えば、すごく嫌でした。プライドもあったので、しゃべりを評価してもらいたいと思っていて。ただ、今思うととてもありがたいことだと思っています。差別化ができることで仕事にもなっているので、やっと自分の中で消化できるようになりました。

──具体的にグラビア系のお仕事をするようになったのはいつ頃でしたか?

塩地 上京してからです。上京する直前まで報道番組をやっていたので、その時はグラビアのオファーがあったとしても、プロデューサーさんがNGを出していたと思います。フリーアナウンサーってごまんといるので、芸能事務所に入ってから「どう名前を売っていくか」ということで、話題にしていただいていた胸をうまくアピールしていこうということで、2015年にグラビアデビュー。そこからそういうお仕事が入ってくるようになりました。

──上京しようと思ったきっかけはなんだったんでしょう。

塩地 父親のガン宣告です。それまでがむしゃらに仕事をしてきましたが「家族との時間を作らないと後悔する」と思って、立ち止まりました。情報番組から報道に変わったばかりのタイミングで、ありがたいことに私に対する期待も大きかったので「これまで通りには働けない」と言ったら「すぐには辞めてほしくない」ということで、時間を下さったんです。それで週末だけ秋田から札幌に帰る生活をしばらく続けさせていただいて、その後、フリーで活動しました。

──その時はまだ上京されていないんですよね。

塩地 そうです。迷惑をかけずに辞めることが目標だったので、フリーで1年ほど活動してから番組を辞めて、送別会が終わった後に燃え尽き症候群になってしまったんです。その後については番組を続けながら考えてはいたんですが、何も思い浮かばなくて。そんな時に当時の社長や先輩方から「エンタメの仕事をまだ続けた方がいい。最後のチャンスと思って上京したほうがいい」と言われて、重い腰を上げることにしたんです。

AUTHOR

山田 健史


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