FOLLOW US

UPDATE|2022/06/26

二刀流フリーアナウンサー・塩地美澄、「最初は嫌だった」グラビアデビュー秘話

塩地美澄 撮影/山田健史



──その後、実際にアナウンサーとなられたわけですが、いかがでしたか。

塩地 毎日泣いていました。本当に世間知らずでしたし、初めての一人暮らしというだけでも大変でした。当時のテレビ局って完全に体育会系だったんですよ。アナウンス業務よりも裏方のお仕事が圧倒的に多いんです。入社した当初、何もできないのにいきなり三脚とカメラを持たされて「まず撮ってこい」と。その後は編集も覚えて、最終的には自分でネタを決めてアポを取って、台本も書いて。運転して取材して撮影もして編集もして、それを自分で伝えるんです。

──2刀流どころじゃなかったんですね...…。

塩地 でも今は、そんなことは全然できないですよ(笑)。当時は本当に頑張っていました。

──年数を重ねるにつれ、裏方の業務というのは減っていくものなのでしょうか。

塩地 むしろ増えていくんですよ。できてしまうから。でも、自分で責任を持って、自分の裁量でお届けできることが嫌いではなかったし、最終的には「すごくやりがいのあることだ」と思えるようになっていました。ヒイヒイ言ってはいたけど、私は地方でアナウンサーになって本当に良かったと今では思っています。人間関係のいろはも社会人としての言葉遣いもゼロから教えていただいたし、先輩のおかげで根性もつきました。20代の時に“自分の限界を超える経験”ができたから、今の自分があると思っています。

──グラビア活動をするようになったのはどういう経緯だったのでしょうか。

塩地 気が付いたらインターネット上で、バストのことを書かれるようになっていたんです。誰かがたしか“東北人気No.1アナウンサー”と呼んでくださったと思うのですが、その後“巨乳アナウンサー”という感じで胸のことが加わっていて。そこから徐々に注目されるようになったと思います。

AUTHOR

山田 健史


RECOMMENDED おすすめの記事