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UPDATE|2022/07/15

SKE48赤堀君江「覚悟って何ですか?」二人きりのダンスバトルで牧野アンナ先生が教えてくれたこと

SKE48チームS 新オリジナル公演「愛を君に、愛を僕に」 (C)2022 Zest, Inc.



赤堀がSKE48に加入したのは2018年12月のこと。キャリアは4年に満たない。
アイドルになったのは、親が応募したから。「将来が心配だから応募した」と後日言われた。赤堀いわく、「ちゃんとしていなかったから」だそうだ。「タピオカを飲みに行こう」と親に連れて行かれた先がオーディション会場だった。

金髪だった赤堀は、黒髪ばかりの会場で浮いていた。居場所のなさを感じていたが、それでも合格した。高校2年生の時だった。

お披露目が終わったメンバーは、48グループでは研究生として研鑽を積むことになっている。赤堀も研究生としてステージに立つようになった。赤堀は目立っていた。

赤堀「当時は、ダンスが上手な順に前から並んでいて、私は経験者だったから前のほうで踊ることが多かったです」

赤堀の武器は表現力だった。小学校高学年から始めたというダンスのスキルよりも、顔で歌詞の世界を伝えることができる若手だった。明るい曲では大きな目をさらに開き楽しさを伝え、悲しい曲ではうつろな目で表現した。まぎれもなく有望株だった。

赤堀「でも、当時は怒られてばかりでした。研究生って一人ができていてもダメで、全体で怒られた記憶しかありません。表情を褒められたこと? ないです。あの頃はダンスを覚えて、公演に出て……の繰り返しでした」

研究生から正規メンバーに昇格した赤堀は、チームSに所属した。そこでぶつかったのがコロナ禍だった。これからという時に活動の場を奪われた。

赤堀「研究生時代は、ただ自分が持っているものをステージで出すだけでした。でも、ステージに立つ機会が減って、SNSでファンの方の声を知るようになってから、自分の踊り方が間違っているんじゃないかと思うようになって。だからといって、どう踊ったらいいかわからない。答えが出ない。そうこうしているうちに活動が徐々に始まって、新公演のレッスンを受けることになったんです」

赤堀は、自分が踊るレッスン映像を見て驚いた。顔が死んでいたからだ。

赤堀「自分では精いっぱい踊っているつもりなんです。でも、どの顔も暗い。ステージみたいに照明が当たらないと、こんな顔になっちゃうんだってビックリしました」

赤堀は昇格後、自分が出演する公演の映像をチェックしていなかった。「自分の顔が好きじゃないから」だ。そのツケが今回のレッスンですべて回ってきた。自分と向き合うことを牧野アンナは要求したからだ。

牧野アンナの指導は一貫している。それは、「ダンスとは心に感じたものを、体を通じて表現することだ」というもの。考え方はとてもシンプルだ。しかし、赤堀はこの教えをどうしても心から理解できないままでいた。

赤堀「周りのメンバーを見ると、みんな疑問に感じていないような顔をしていました。『えっ、みんな本当に理解してるの? 分かってないの、私だけ?』とずっと疑問でした。私、すべてのことに対して考え過ぎちゃうんです」

CREDIT

取材・文/犬飼華


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