FOLLOW US

UPDATE|2022/05/21

大食いタレント・三宅智子が語るフードファイター卒業後の流浪の人生「写真集を出したことも」

三宅智子 撮影/松山勇樹



──そこでフードファイターとして独立ということですか。事務所はエイベックスでしたっけ?

三宅 はい、最初はフリーでやっていたんですけど、お声がけいただきまして。当時のエイベックスは勢いがすごくて、社員旅行をハワイでやっていたんですよ。そこに私はゲストで呼ばれ、社員の方と大食い対決をしたんですね。これが事務所に所属することになったきっかけ(笑)。「どこにも入っていないんだったら、うちに来てくれませんか?」と言われまして。

──芸能活動の一環として、ソロ写真集も出しましたよね。

三宅 それも個人で続けていたら絶対にやらなかったと思います。エイベックスでは「可能性を広げるために、やれることは何でもやっていこう」という方針だったんですよ。僭越なから『Confession』という曲で歌手デビューもさせていただきましたし(笑)。歌、ダンス、声優……いろんなレッスンも受けさせてもらいました。

──でも、三宅さん自身はタレント志望ではなかったんですよね。

三宅 そうなんです。だからレッスンを受けていると、申し訳なくなっちゃって……。だって周りのレッスン生は賞を獲ったりしながら、デビューを必死で目指しているわけですよ。のちに三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEになる今市(隆二)君とか、Da-iCEの花村想太君とか。みんな歌もめちゃくちゃ上手いし、私なんて完全に場違いな感じ(笑)。でも、今にして思うと本当に貴重な経験ができたと思います。

──当時、三宅さんはどこを目指していたんですか?

三宅 事務所に所属して本格的に芸能活動をやることになったのはいいんですけど、そこで少しでも暇な時間ができると、私って働きたくなっちゃうんですよ。だから事務所に隠れて、こっそり知り合いのカレー屋さんでバイトしたりしていましたし。結局、私はタレントに向いていなかったし、きちんと地に足をつけて働きたい人だったんですよね。もちろん芸能人も立派な職業だとは思いますが。

──なるほど。実際にやってみないとわからないことってありますしね。

三宅 それで27歳くらいでエイベックスを円満で辞めてからは、知り合いのラーメン屋を手伝うことになったんですけど、これが本当に楽しかった! すごくやりがいを感じたんです。根本的に飲食業が好きなんでしょうね。朝9時から仕込みをして、休憩時間もほとんどないまま家に帰ると1時とかになっていましたけど、それでも毎日の充実感が尋常じゃなかったんです。15歳から道の駅でバイトを始め、そこからずーっと自分探しみたいなことを続けていましたけど、ようやく自分にピッタリ来るものを見つけたというか。

AUTHOR

小野田 衛


RECOMMENDED おすすめの記事