──結婚後に理想のパートナーが見つかってもおかしいことではないですしね。でも世間では、不倫バッシングがどんどん過剰になっています。
三浦 他人のことなんて誰にも分からないんですよ。自分のことだって分からないことが多いんですから。行き過ぎたバッシングは、不倫の当否を超えた別の問題を孕んでいます。人間が「正義感」に駆られて暴走するというのは、不倫に限らず様々なところに存在している現象ですからね。ホーソンの『緋文字』という小説があるんですけど、清教徒のムラの中で不義の子を産んだとみなされた主人公が、どれだけ差別され虐待されたかということを考えると、人間はひとたび自分が正義だと信じると酷いことが徹底してできちゃうんだなと思いますね。
──他人の不倫への関心の高さは、海外も日本と変わらないのでしょうか。
三浦 不倫に関するドラマや映画は、よっぽど戒律の厳しい国以外は世界各国で流行っているので、人間の根源的な興味・関心なんだと思います。
──日本のように不倫が騒がれることは?
三浦 ありますね。特に政治家で不倫関係をもっていたりすると、アメリカではかなりのダメージです。ビル・クリントン大統領のモニカ・ルインスキーさんとの情事は、「大統領の嘘」も含めて政権を揺るがす事態になりました。キリスト教の影響が強いアメリカでは、理想的なファミリーを維持するというのが政治家の資質の一部として見なされている感じがありますね。日本でも最近は総理候補に愛人がいたりすると、潰される可能性はあるでしょう。昔の日本だったら、総理大臣に二号さんがいるというのは普通のことだった。
アメリカだって、ケネディ大統領とマリリン・モンローの関係のような例もあります。全般的に情報化社会が進み、私生活が露見しやすくなったこと、大衆化の流れの中で政治家が一般人と同一視されるようになったことも大きいんじゃないでしょうか。多様性が声高に支持される時代でありながら、こうした不倫問題のようなことについてはよりモラルが厳しく問われる傾向が高まっていると思います。