グラビア活動は1年で区切りを付けたが、その後も仕事は順風満帆。しかしプライベートではギリギリの生活を送っていた。
「19歳のときにお母さんとの軋轢がどうにもならなくなって、家を出ることになったんです。うちは親戚付き合いもなかったので、他に頼れる人もいなくて一人で暮らすことに。でも私は世間知らずだったので、毎月払う家賃のことを考えていなくて。一人で生活できるほどの給料をもらってなかったので、芸能活動の合間を縫ってバイトも始めました。
朝はパン屋さん、夜は海鮮居酒屋と掛け持ちをしていたんですけど、家賃と光熱費と携帯代を払ったら、ほとんどお金は残らなくて、まかないをもらって生きていくみたいな。寝る暇もなかったんですが、それでも芸能活動を辞めなかったのは、亡くなったお父さんの『冴美には芸能界で頑張って欲しい』という言葉を裏切りたくなかったからです」
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