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UPDATE|2022/06/13

「配合変化」空手家から看護師、女優へ…長野じゅりあが語るひとつに絞らない生き方

撮影/松山勇樹


──そこから空手と女優業の二刀流を続けたんですか?

長野 それがですね、15歳くらいから空手のほうでスランプみたいになっちゃったんですよ。成績がどうにも思わしくなくて……。最初の映画のあともドラマとかに何本か出させていただいたんですけど、「これはもう女優とかやっている場合じゃないな」と思い詰めて、演技のほうがスッパリやめちゃったんです。今思えば、もったいなと自分でも思うんですけど(苦笑)。空手に関してはそこからも必死で頑張ったものの、18歳のときのインターハイ予選でギリギリ決勝に進めなかったんですね。そこで競技人生に終止符を打ちました。

──それまで全人生を空手に捧げてきたわけだから、別の道へ行くのも大変だったのでは?

長野 そうですね。18歳のインターハイ予選で負けてから慌てて塾に通い出して、看護学校の受験に備えました。正直、勉強はすごく苦手だったんですけど、面接では空手仕込みのハキハキしたしゃべり方とコミュニケーション能力でなんとか乗り切りまして。女優業をやっていたこともあって高校を休む日も多かったんですけど、そこを面接官に突っ込まれたら「はい! 私、空手の世界チャンピオンなものですから! その延長で映画のヒロインもやらせていただきました! だから身体の丈夫さには絶対の自信があります!」みたいにアピールしていましたね。たぶんそれで受かったんだと思います(笑)。

──実際に看護師になったのは何歳のときですか?

長野 学校が3年制だったので、20歳のときでした。母親が看護師だったことに加えて、『救命病棟24時』とかを観てカッコいいなと思っていたんですけど、実際にやってみると本当に業務が大変で……。常にバタバタ慌ただしくしているし、配属されたのが三次救急というところだったので、大袈裟じゃなく生きるか死ぬかギリギリの攻防みたいなことが多いんですよ。リアルに「私が患者さんの異変に気付いたから命が助かった」みたいな例もありましたし。ものすごくヒリヒリする現場だし、ドラマのイメージとは全然違っていたけど、やりがいはとても感じましたね。

──そこまで激務だと、芸能界に復帰しようなんて発想にもならなかったのでは?

長野 特に1年目は毎日が勉強の繰り返しだから、看護師の業務以外は頭になかったです。看護師の世界では「一人前になるのに3年かかる」とよく言われるんですね。だから3年経ったら女優に復帰しようと密かに考えていました。なぜなら、やっぱり心残りがあったんですよ。女優としてデビューしたとは言っても、結局、空手の片手間でやっていただけだから、すごく中途半端だったし、もったいないことをしたなという後悔がありまして。映画のヒロインにしたって、600人の中から選ばれたということのありがたさを当時は全然理解できていなかったんです。だから、もう一回ちゃんとした気持ちでアクションに臨みたいという思いが自分の中で大きくなっていったんですよね。

──でも、そうなると病院勤務は続けられないのでは?

長野 そうなんです。だから「やりたいことが見つかったので、辞めさせてください」と病院側には伝えたんですよ。だけど病院がすごく理解のあるところで、「女優業で休んでもいいから、長野さんにはぜひ続けてほしい」と言ってくれまして。今は6年目になるんですけど、以前と変わらず医療の現場に立たせていただいております。(後編に続く)

▽PROFILE
ながの・じゅりあ◎1996年2月10日、島根県生まれ。T159cm、B80・W60・H86。趣味:筋トレ、旅行。最近、ハマっていること:洋服の毛玉取り。最近の悩み:身体を絞りたいけど、シュークリームやドーナツがやめられないんです。好きな男性のタイプ:強そうな格闘家タイプに守られたいという気持ちもあるけど、どういうわけか「僕を守って~」みたいな弱々しい男性に好かれる傾向があります(笑)。でも今は恋愛よりも自分の夢を実現させることに熱中しているので、胸キュン要素は韓国ドラマだけで十分かな。

5歳より空手を始め、2006年の「第5回糸東流空手世界選手権大会 形の部 9歳~10歳 女子3級以上」にて優勝を飾り世界王者に。2011年には『サルベージ・マイス』で女優デビュー。看護師として病院に勤務しつつ、グラビアやバラエティなどでもマルチに活躍を続ける。2022年3月、東京女子プロレスの両国国技館大会でリングデビュー。TikTokやYouTubeでも絶大な人気を誇る。

【後編はこちらから】長野じゅりあが語る水着グラビアデビューとプロレスデビュー
AUTHOR

小野田 衛


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