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UPDATE|2021/12/30

“コロナの女王”岡田晴恵が語る感染症専門家になった理由「非常にミステリアスな学問」

岡田晴恵 撮影/松山勇樹



──そこからは国立感染症研究所で勤務しはじめます。

岡田 私が順天堂大学の博士課程でやっていた免疫学は、後に感染研でワクチンの有効性や安全性の研究に繋がりました。感染研では、ワクチンの国家検定もありましたから、免疫をやっている人間を欲しかったそうです。ワクチンはつまりは人工的にその感染症の病原体の免疫を付けること。それで、罹っても発症阻止や重症化を抑止することがワクチンの効果として見込まれる。

だから、免疫学がわからないといけない。でも、ワクチンだけやっていればいいという職場ではありませんでした。上司がSARSコロナや新型インフルエンザのパンデミックス対策を世界的に取り組んでいたことで、私はその下働きもするようになりました。ですから、10年間くらいはパンデミック対策や政策などを学びながら仕事をしていました。

2002年の冬のSARSの発生からパンデミック対策の仕事が非常に多くなりました。振り返って私の著作を見ると、当時、私が書いていた本も内容的には新型インフルエンザやコロナのパンデミック政策や対策に関するものが多い。それまで、私にとって本は読むものでしたが、感染研時代は書くことが多くなりました。

──「コロナの女王」として唐突にメディア出演し始めたわけではなく、あたりまえですけど、下地があったわけですね。

岡田 そうですね。岩波新書「感染症とたたかう」がデビュー作ですが、100冊以上は著書があると思います。辞典や共著もありますし。いずれも感染症関連がテーマです。“どう個人が感染を防ぐか”から、“どう流行を起こさないか”、さらには“大流行を起こさないためにはどうするのか”、といったパンデミック対策、感染症対策関係の著作です。NHKをはじめ、テレビやラジオでも10年以上前から感染症の解説をやっていましたから、コロナでテレビに出始めたという訳ではありません。

──感染研を辞めた経緯については、「閉鎖的なムラ社会の雰囲気に嫌気が差した」といった趣旨のことが自著の中で書かれていました。でも厚生労働省にあるわけですから、将来の安定性は申し分なかったはずです。

岡田 安定性ねぇ……。もちろん、国家公務員の安定性とか、待遇などの、そういったことを重視する人もいっぱいおられます。でも、研究所では大学教授になって自分の研究をやりたいと思っている人も多いです。少なくても私の周りでは圧倒的にそういう人が多かった。

よく研究室で、どこどこの大学のポストの公募見た?なんて話は、しょっちゅう話題にはなっていました。だから、そこは私も例外じゃなくて、早く大学教授になりたいとは思っていました。でも、仕事には責任がありますから、時期は考えました。

──そういうものなんですね。

岡田 どういう生き方をしたいか?でしょうね。大学の先生だったら自分の教室を持って、弟子を育てながら自分で選んだ研究ができる可能性が拡がる。研究の自由度が上がります。感染研は厚生労働省の機関だから、やはり業務に沿う研究が多くなります。本省から科研費が潤沢についてくるから楽ではあるんだけど、研究者はそれが全てではないんです。私は、安定した立場にしがみつくということはなかったかな。当時の研究所の仲良かった友人たちも多くが大学教授になりました(笑)。(中編へつづく)

【中編はこちら】“コロナの女王”岡田晴恵が叩かれるリスク冒してまでテレビに出続けた理由「対策を提言する必要性があった」
AUTHOR

小野田 衛


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