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UPDATE|2021/12/19

祝M-1優勝 錦鯉・長谷川雅紀が語る全く売れなかった暗黒時代「思わず涙したお母さんの納豆おにぎり」

錦鯉・長谷川雅紀 撮影/松山勇樹

M-1グランプリ2021、涙の優勝を飾った錦鯉。その優勝を祝して先月収録した2人のインタビューを改めてお届けする。自意識過剰だった若手時代からまったく売れなかった暗黒時代、結成秘話までをたっぷり語った濃厚インタビュー。最近では自叙伝『くすぶり中年の逆襲』』(新潮社)も発売。まずは優勝をきめて号泣した長谷川雅紀のインタビューから(前中後編の前編)。

【写真】40代後半でブレイクしたくすぶり中年・錦鯉の撮り下ろしカット【6点】

――最初に組んだお笑いコンビ「まさまさきのり」は、2011年8月に解散するまで紆余曲折があったそうですね。

長谷川 札幌でお笑いを始めるってときに、高校の同級生の久保田昌樹と組んでオーディションを受けたのが札幌吉本で、僕らが1期生。同期にはタカアンドトシがいました。ただ相方が違う方向性でやりたいというので2000年に一度解散。それから2年ぐらいピンでやって、また久保田が再結成したいというので上京して、ゼロからスタートしました。でも結果的には久保田が体調を壊して札幌に帰ることになって、2度目の解散。その時点で40歳でした。

――札幌でのピン時代、他の芸人とコンビを組もうと思わなかったんですか?

長谷川 札幌で情報番組のレギュラーを持っていて、食レポをしたり、温泉に行ったりとテレビのお仕事をしていたので、その頃は特に相方の必要性も感じていなかったんです。それに当時の札幌は芸人の数も少なかったので、誰かと新しく組んで、ネタを考えるみたいなことは思わなかったですね。

――私も北海道出身なので当時の状況は分かるのですが、札幌吉本ができるまで、北海道独自のお笑い文化ってないに等しかったですよね。

長谷川 劇場で、生でお笑いを見るなんて文化はなかったですよね。だから手探り状態でした。良くも悪くも先輩がいなかったんですよ。一応関西から来た「笑ハンティング」というお兄さん方はいたんですけど、そこまで自分たちには関与してこなかったんです。

だからタカアンドトシ、アップダウン、解散したBコースなどと、企画や大喜利のお題、集団コントなどを考えていました。大阪とか東京の番組を参考にしながら、自分たちでアイデアを練って。芸人の頭数がいないので、ローカルですけどテレビもラジオもすぐに出られたんですよ。

AUTHOR

猪口 貴裕


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