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UPDATE|2021/12/19

祝M-1優勝 錦鯉・長谷川雅紀が語る全く売れなかった暗黒時代「思わず涙したお母さんの納豆おにぎり」

錦鯉・長谷川雅紀 撮影/松山勇樹



――一度解散を言い渡してきた相方と、また組もうと言われて、抵抗感はなかったのでしょうか。

長谷川 久保田が「もう一回やりたい」と言ってきたときに、僕もすぐにやりたいと思ったんですよ。というのも当時30歳で、レポーターを中心に活動をしていたんですけど、何か違うなと思っていたんです。それを強く感じた出来事があって、食レポをやっていたときにカメラマンさんから、「七草がゆの七草を言える?」と聞かれたんです。それに答えられなかったときに、「ちゃんと覚えなきゃダメだよ」って言われて、「芸人なのに七草を覚えなきゃダメなの?」って思ったんですよ。

自分のやりたいことは、面白いことやバカなことをやって笑いを取ることなのに、食レポのダメ出しをされて「あれ?」と思って。そんな時期に、久保田に誘われて、一緒にやっていたときの楽しかった記憶がよみがえったんです。

――上京して、「マッサジル」というコンビ名に改名して再出発を図りますが、その後も約10年間に渡って泣かず飛ばすの状態が続きます。

長谷川 僕の中で暗黒時代というか、自分が思い描いていたものと違っていて、本当に辛い10年だったんです。その10年の間に、「おもしろ荘(※「ぐるぐるナインティナイン(日本テレビ系)」の1コーナー「おもしろ荘へいらっしゃい!」)」に2回出てますし、「めちゃイケ(※「めちゃ2イケてるッ!(フジテレビ系)」)や「爆笑オンエアバトル(NHK)」などテレビにも出ていたんです。

ちょうどその頃、オードリーや小島よしお、ジョイマンなどがバーッと出ていた時期で、それに乗っかっていけば、そのままマッサジルも行けるみたいに周りから言われていて。その可能性もあるかなと思っていたんです。ところが「おもしろ荘」に2回出ても何も起きなくて、そこまで乗り切れない。あとはアルバイトとギャンブルという異常な10年間でした。

AUTHOR

猪口 貴裕


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