M-1グランプリ2021、涙の優勝を飾った錦鯉。その優勝を祝して先月収録した2人のインタビューを改めてお届けする。自意識過剰だった若手時代からまったく売れなかった暗黒時代、結成秘話までをたっぷり語った濃厚インタビュー。最近では自叙伝『くすぶり中年の逆襲』』(新潮社)も発売。まずは優勝をきめて号泣した長谷川雅紀のインタビューから(前中後編の後編)。
【写真】40代後半でブレイクしたくすぶり中年・錦鯉の撮り下ろしカット【6点】――もともと同じSMA所属ということで、コンビ結成前から渡辺隆さんとは面識があったそうですが、当時はどんな印象でしたか?長谷川 僕が「マッサジル」というコンビでSMAに入った頃、隆は「桜前線」というコンビを組んでいました。月1回あるSMAの事務所ライブはお客さん投票で6段階ぐらいのクラスが上がったり下がったりするピラミッド形式だったんですけど、桜前線は常に上位で、一番上のクラスで1位を獲ることもありました。僕らはと言うと、あまりよろしくなくて、毎回1つずつクラスが落ちていくみたいな。
一番下までいったときは、才能ないんだな、辞めようと思ったこともあります。それとは対照的に、桜前線は成績が良かったので、純粋にすごいなと思っていました。ただ事務所ライブのレベルではウケていましたけど、テレビのオーディションやコンテストなどでは、そこまで成績を残せていなくて。それでも狭いムラの中で差を感じていました。
――プライベートでも交流はあったんですか?長谷川 二人でどこかに行くということはなかったんですけど、ハリウッドザコシショウのもとに、バイきんぐや桜前線がいて、その中に僕らも入れてもらえていたんです。なので芸事以外にも、プライベートでみんなで飲みに行くこともありました。
――年下の芸人が自分たちよりも人気があったり、結果を残したりで、嫉妬や焦りはなかったんですか?長谷川 それは感じなかったです。性格なんでしょうね。ちょっとのんびり屋さん的なところがあって、それが良いのか悪いのかは分からないですけど……まあ本当は悪いんでしょうけどね。だから後輩のほうが売れたり、同期が自分たちより人気があったりしても、悔しいとか、恨めしいみたいな気持ちが、あまり湧かないんです。