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UPDATE|2021/12/19

祝M-1優勝 錦鯉・長谷川雅紀が語る全く売れなかった暗黒時代「思わず涙したお母さんの納豆おにぎり」

錦鯉・長谷川雅紀 撮影/松山勇樹



――乗り切れなかった原因は何だったと思いますか?

長谷川 何とかしなきゃという気持ちはあって、2か月に1回単独ライブをやっていた時期もあったんです。そういう風に自分たちを奮い立たせようとしていたけど、じゃあ根を詰めてやってきたかと言ったら、サボっていたり、楽な方に逃げていったり。「おもしろ荘」のオーディションに受かったネタで「M-1グランプリ(テレビ朝日系)」にも出て、3回戦まで残ったこともあったんです。

その勢いで、もっとネタを詰めて面白くしようとすれば良かったんですけど、気が緩んだというか。今思えば、それは相方の久保田も一緒で、二人でグダグダしていました。どちらか一人が引っ張って、売れるための戦略みたいなものを考えていかなきゃいけなかったんだろうなと思います。その辺が甘かったというか、ただ面白いと思ったことをやっていただけで、たまたま何度かオーディションに受かっていたという感じでした。

――ネタへの自信はあったんですか?

長谷川 そうですね。お客様には人気がなかったですけど、周りの同業者からは「面白い」と言われていたので、それが希望でもありました。

――再解散をするときに、自分も札幌に帰るという選択肢も考えましたか?

長谷川 考えました。別にテレビに出ている訳でもないですし、年齢も40歳だったので、良いきっかけかなって思いましたよ。そんなときに、過去に情報番組でお世話になっていた放送局からドキュメンタリーのお話がきたんです。「帰省なう(HTB)」という番組なんですけど、せっかくのお話だからと出ました。

――『くすぶり中年の逆襲』によると、錦鯉結成後に相方の渡辺隆さんが「帰省なう」の雅紀さん回を見て、「雅紀さんの本当の魅力、面白さが出ていなくて、ただのオッサン芸人でしかない」と悔しい気持ちになったと仰っていました。雅紀さん自身はどうだったんですか?

長谷川 僕はそこまでマイナスな印象はなかったです。その番組は、北海道から東京に夢を持って行った人を追いかける番組で、過去に内藤大助さん、吉村崇(平成ノブシコブシ)さん、バービー(フォーリンラブ)など、錚々たる人たちが取り上げられていたんです。そんな全国で名前が知られた中で一人だけポツンと誰も知らない人が出ていたんですよ。

AUTHOR

猪口 貴裕


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