「辛いときこそ、誰の心にもいる底力くんに会えるチャンス」という夏まゆみさん(メンバーではなく振付師)の言葉にいたく感動したこと、「ミニスカートの女子たちではなく、この集団のテレビには映らない物語性に気づいて、それをのぞきたい一心」からハマったのだという。
すでに前田敦子は卒業していたというが、当時のAKB48と言えば、まさにトップアイドル。しかし、「会いに行けるアイドル」の「劇場」を初めて訪れた時は衝撃を受けたという。
「その頃のAKBはテレビにバンバン露出してた時代なのに、ビルそのものがいかがわしい。出てくるメンバーもテレビに出る人たちじゃないので衣装も安っぽくてなんだかいたたまれなくて…。でも、初期の話を知れば知るほどハマったんです。AKBという事業そのもの、あるいはあの空間そのものに取り憑かれたんですね」
それは演者とヲタの距離の近さ、そして共犯じみた関係性だ。
「06年、AKB劇場のトイレで脳出血で死んじゃったライダー君、知ってますか? 推し活で戦死した人です。その伝説のファンのために秋元康さんが『ライダー』って曲を書き下ろして、その曲はライダー君が推してた二人がセンターになって歌ったんです。初期はそういう情のある話があったんですよ」
こうして田原さんは「初期」の物語にハマっていく。ちなみにAKBがまだ認知されず、雑居ビルの劇場という「穴蔵」でくすぶっていた頃、ファンには中高年が多かったそうだ。田原さんの同僚である「古参ヲタ」は、そんな関係を「ダメな大人男子とダメな少女たちの共犯関係に支えられた秘密の共同体」と表現している。
そんな初期AKBについて、田原さんはイスラム武闘派のアルカイダと同時代性があると指摘するのだが、それは一体どういうことなのか。