FOLLOW US

UPDATE|2023/04/22

50歳で地元・九州へUターン、ダイノジ・大谷が語る「東京で大成功する、以外の芸人の生きる道」

撮影/松山勇樹


――今インドネシアをはじめ、アジア圏の音楽フェスがとてつもない勢いと規模に成長していますからね。需要は大きいかと。

大谷 そうなんです、文化の発展がすごく進んでいて。そうなったとき、日本で東南アジアの玄関口になる場所はどこか?となると、福岡なんです。アジアの玄関口にして、愛着もある九州で来てもらって楽しんでもらえる場を作れば、アジアにもリーチできて、最終的には僕らも九州もより輝けるんじゃないかな?って。九州移籍を機に、今までにないぐらいダイノジは忙しなく動いていくと思いますよ。満足に体が動くのはたぶんあと10年。この10年動く限り、全力でやり切りたいですね。

――最終的に、「九州に帰ってきた意義」を感じられると思いますか?

大谷 僕らのやることで一人でも喜んでもらえたら最高ですね。僕ら、静岡県清水市で「マグロック」という5~6000人キャパのフェスを開催していたんです。上に振れるときもあれば、下に振れるときもあったりと想像通りには上手くいかないなあ……と、色々学びを得てきたんですね。

確か開催3年目のころかな? 清水のとある定食屋さんに大地と二人で入ったら「毎年ありがとうね」と、ご飯大盛りにしてもらったんですよ。僕たち、大したことしていないのに、こんなありがたいこと言ってもらえるんだとジンワリ嬉しくなって。そのときに、「そうだ、“ありがとうね”と言われることを本業にしよう」と、思ったんですよ。俺は九州に「ありがとう」を言いたい。なら最後に九州、大分の人たちに「ありがとうね」と言われたら、俺は全部OKだなあって。

――それはステキですね!

大谷 悔しいかな、チャンスをもらいながらも、僕が思い描いていた東京での大成功の道は歩けなかった。けど、今やっと、自分ができる最大限をやるべき時がきたということかなって。東京が一番刺激的で進んでいる街なのは重々承知の上、「いや、九州も刺激的というものへの距離は、東京と変わらないよ」って伝えられる面白いことをする自信があるので、もうとにかくひたすらにやるだけだなって。

【あわせて読む】「Uターン芸人」東京志向の塊だったダイノジ・大地が50歳で拠点を地元・九州へ移した理由
AUTHOR

田口 俊輔


RECOMMENDED おすすめの記事