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UPDATE|2022/11/01

AKB48からラッパーへ、立仙愛理の覚悟「初めてのMCバトル前は、腹痛と発熱で精神を削った」

立仙愛理 撮影/田中健児

ミクスチャーロックアイドル「Pimm’s」に今年加入したメンバー・立仙愛理(りっせんあいり)は、「AILI a.k.a.立仙愛理」というMCネームのラッパーでもある。彼女は女優業もこなしており、三足の草鞋を履きこなしている。2021年春まで歴としたAKB48のメンバーだった彼女が、なぜ再びマイクを握ったのか。なぜHIPHOPの世界に身を投じたのか。疑問に迫った。

【写真】ラッパーとして注目を浴びる、立仙愛理の撮りおろしカット【15点】

立仙愛理がAKB48のメンバーだったのは、2018年4月から昨年3月までのこと。ところが、今年2月になって突如としてマイクロフォンを握った。アイドルのイベントに出演したのではない。MCバトルに出場したのだ。

もともと立仙は高知県に生まれ、アイドルに憧れる少女だった。

「8歳から地元のスクールでダンスと歌、芝居を習い始めて、芸能以外にやりたいことが見つからない女の子でした。それは今でも変わりません」

小学校の頃からオーディションを受けては落ち続け、このまま夢が幻で終わるのではないか。そう考えると、授業中も涙があふれたという。

「高知高専の電気情報工学科を卒業したんですけど、その時代は特に心が荒んでいて、授業中にぼろぼろ泣き始めるから、みんなは私のことをヤバいやつだと思っていたはずです(笑)」

そんな中で合格できたのは、AKB48のチーム8のオーディション。47都道府県から1名ずつ代表が加入するチーム8の、2代目高知代表に選出された。2018年の春、立仙は19歳になっていた。アイドルのスタートとしては決して早くはない。それでも、ステージから見る客席は格別のものだったという。

「お披露目は日本ガイシホール(愛知県)でのコンサートでした。お客さんは7,000人。その光景に『これが見たかった!』と心から思いました。8歳から思い描いていたものは、これだって。AKB48は私を救ってくれた場所でした」

だが、AKB48の層は厚い。選抜メンバーになれるのは人気上位の16~20人程度。夢の世界に入り込めたまではよかったが、立仙はさほど目立つことがなかった。

「冷静に考えれば、そうですよね。11年もオーディションに受からなかったのに、いきなりAKB48で目立つなんて、そんな甘い世界じゃありません。やっと入れた世界ですから足掻いていたかったけど、現実は厳しい。そんなときにちょうど人生の選択を迫られたんです」

2020年春、コロナ禍になり外出したら白い目で見られた時期。高知県在住の立仙に回ってくる仕事はほとんどなくなっていた。自分がやりたいことをするためには、もはや上京するしかないと進路変更をせざるを得なかった。

「上京するためにバイトを掛け持ちしました。コールセンターのバイトでは電話口でめちゃくちゃ怒鳴られましたし、工場の仕分けもやりました。死ぬ気で働いて、上京資金を貯めました」

CREDIT

取材・文/犬飼華 撮影/田中健児


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