――テレビタレントだけで生きることの不安を口にする芸人の方は多いですよね。
竹山 バラエティ番組で見せているのは「テレビ芸」であって、自分たちが本来持っている芸とは違うんです。逆に、「テレビ芸」は「テレビ芸」で難しいから、ネタで跳ねたけど、テレビではうまくハマらなかった若手なんてゴマンといる。ただ、「テレビ芸」ばかりやっていると「自分は何者なんだろう」と思ってしまうんです。もし単独ライブの『放送禁止』をやってなかったら、俺はテレビでもダメになっていたはず……。
――『放送禁止』は、取材してきた素材をもとに竹山さんがひとりでしゃべるスタイルですが、ノンフィクションなのに笑いがあってオチまでつけるという、緻密な構成になっていると思います。
竹山 おさむさんと話したのはタイトルこそ『放送禁止』だけど、放送できないことを言うわけじゃなくて、昔だったら編集で落とさなかったようなことを、1人しゃべりで見せていこうと。だから、『放送禁止』はテレビそのものでもあるんです。
それと、「プロが唸るライブにしよう」と考えてました。極端な話、一枚もチケットが売れなくて客席にいるのが全員業界人でもいいから、みんなに「参った」と言わせたい。実際、最初はチケットが全然売れなかったんですけど(笑)。
――「中島さんの死」をテーマにした回が評判を呼んで、以降はチケットが取れない人気公演になりました。
竹山 2年目で方向性が見えたんです。『週刊現代』に俺が裸で寝ている写真が載ったとき、おさむさんに連絡して「ライブを始めたばかりなのに迷惑をおかけしてすみません」と謝ったら、「ライブにできるじゃん!」と歓迎されて(笑)。その年のテーマは、『週刊現代』編集部に協力を仰いで「スクープの真相」になったんです。この回をきっかけに、『放送禁止』は俺の生き様を話すライブにしようと。
5年目の『放送禁止』で中島のことを話すんです。ライブを立ち上げたときに「中島の話はいっさいしない。ただ、5年続いたら、7回忌でもあるし、中島の死だけで2時間のお笑いライブをやってみよう」と決めていたから。
いざやることになると、俺もおさむさんも相当悩みました。全国の人たちから「可哀想なこと」として捉えられていた「中島の死」を、どう笑いに変えて、お客さんに納得して帰ってもらうか。朝の3時におさむさんが内容を変えて、朝7時まで稽古したこともありました。ライブを成功させること以上に、俺とおさむさんの目標を達成したいと必死にやったら、中島の回が評判を呼んで、次の回から完売するようになったんです。