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UPDATE|2024/02/23

Z世代が観た『不適切にもほどがある!』、令和の”違和感”の正体とは一体何なのか

『不適切にもほどがある!』公式HPより



第二話で描かれた「働き方改革」も「そう来るか」と自らを省みる展開のオンパレードだった。求人情報でついチェックしてしまう、年間休日の多さ、残業時間の少なさ、有給消化率。仕事よりも”プライベートの充実”が重視され「自由に働く」という言葉もよく目にするようになった。

その一方で「会社の役に立ちたい」「面白いものを作りたい」と思っている人がいるのも事実だ。そのためには、多少の残業や休日出勤が必要になることもあるだろう。せっかく「自由に働く」が認められる時代になってきたはずなのに、「働き方改革」がやる気の芽を潰すことになりかねない。

社会の制度と実際に働く人は圧倒的にコミュニケーション不足だ。全てが「話し合い」で解決できるとは思わないが、誰が何のために決めたのかも分からない不明慮なルールで、いつの間にか自由と個性を奪っている可能性があることを忘れないでおきたい。

”不明慮なルール”は第三話の「コンプライアンス」問題にもつながる。令和で繰り返される、誰に何のために謝っているのか分からない謝罪の言葉。保守的なエンタメ、誰も傷つかないお笑い、常に適切に先回り。「チョメチョメ」が繰り返される昭和との見事なまでのスイッチングに、内心「昭和の方が楽しそう」と思った視聴者も多いはずだ。

人を傷つけることはあってはならない。だが、残業をしてでもクリエイティブでいたい人がいるように、身体を張って笑いを取りに行きたいお笑い芸人、自分の魅力をアピールしたいグラビアアイドルだっている。そんな人々の”したい”の思いが、突然姿を現した「不適切」という価値観で、なかったことにされてしまう。”個性を大切に””自分らしく”が歌われる令和で、それらを発揮する場が失われているのはやはりどこか矛盾している。

『不適切にもほどがある!』は「昭和の方が良かった」と思わせる、もしくは「令和の方が良かった」と思わせるための物語ではない。どちらの時代にもいいところがあり、悪いところがある。見ていると少し心にコンプラが芽生えたり、ノンコンプラを羨む気持ちが沸き上がったりする。それこそがお互いを”知る”という、コミュニケーションの一歩だ。

時代のスピードはとてつもなく速い。どこからともなく新たな価値観が生まれ、ルールが変わり、それに乗っ取って人々の考えも変わっていく。すぐに適応できる人もいれば、できない人もいる。むしろ全員が一発で時代への正解を出してしまったら、この世からは何も生まれなくなってしまうだろう。

多様な生き方が認められつつある今、このドラマに出会えたことを非常に幸運に思う。

【あわせて読む】“八嶋智人無双”が炸裂『不適切にもほどがある!』が鮮やかに描き出す昭和と令和のコンプラ
AUTHOR

音月 りお


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