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UPDATE|2023/08/20

美女戦士ケイト・ロータスが格闘家になった理由「遊びばかり生活を見直すきっかけは母の病」

撮影/松山勇樹


 厳格な兄と母は、ケイトの豹変ぶりに激怒した。門限を破ることも日常茶飯事だったが、そのたびに「お前、いい加減にしろよな!」と激怒されという。しかし、彼女にも彼女の言い分があった。「私にだって人並みに青春を謳歌する権利がある」というわけだ。それまでひたすらストイックに武道で自己を追い詰めていたが、その反動が一気に押し寄せたのだろう。

「お兄ちゃんはゴリゴリに柔道をやっていたんです。学生時代は強豪校で主将を務めていたし、今も刑務官として柔道を続けていますね。年齢的には2歳上だから、中学のときは部活でも一緒だったんです。家できょうだい喧嘩になると、柔道部の練習でわざと痛い投げ方をされたり、締め技で落とされたりしました。先生も兄が怒るときは妹が悪いことをしたときだとわかっているから、『あんまり派手にやるすぎるなよ』って黙認する感じで。

 ただ、お兄ちゃんも別に武道が人生のすべてではないことはわかっているわけですよ。私がケガくらいで柔道を諦めるということは、しょせん選手としてはそのレベルだったということ。だったら危険を伴う武道やめて女子学生生活を楽しむほういいという考えですよね。もっとも羽目の外し方が度を越していたということで、手厳しく制裁されましたが(苦笑)」

 高校卒業後、ケイトは某スポーツクラブのインストラクターとして働き始めた。勤務先が閉店となったことを機に上京し、別の支店で指導することになるが、そのタイミングで大きな転機が訪れる。実家から電話がかかってきて、母が子宮体癌だと告げられたのだ。

「最初は切除すれば治るという話だったんですけど、リンパに移転していて、粗ステージ4まで進んだんですよね。それで慌てて神戸の実家に戻ることにしました。その後もベーチェット病を発症してしまっのですが、やるべき事を実行する母を目の当たりにして、自分もまっとうに生きるべきだと思ったんです。考えてみたら、私は中3で柔道を辞めてから何ひとつ胸を張る生き方をしていない。恋愛面だって、お母さんやお兄ちゃんが反対するような相手ばかり選んでいましたし。厳しい家で真面目に生きていたぶん、ちょっとやんちゃな感じの男の人がカッコよく見えたんです。今は全然そんなことないですけどね(笑)」

 やはり自分は真剣に打ち込むものがないとダメになる──。そう考えたケイトはインストラクターを続けつつ、ボディビルの大会に出場するようになった。減量やトレーニングの一環としてミット打ちを行うと、否が応でも昔の熱い気持ちが蘇ってくる。「センスあるから、本格的にやってみないか?」というKING GYM KOBE代表からの誘いに、迷うことなどなかった。

「あっという間に話が進みました。MMAの練習を始めたのが2020年の4月だったんですけど、その年の10月にはアマチュアとして藤田翔子選手相手に初試合(判定負け)。12月にはDEEP JEWELS 31で熊谷麻理奈選手を相手にプロデビューでしたから(腕ひしぎ十字固めで一本勝ち)。もっとアマで下積みするべきだったのかもしれないけど、私の場合はこれでよかったのかもしれません」

 こうして22歳でプロ格闘家としての第1歩を踏み出したケイト。記事後編ではMMA選手として味わった挫折や今後の野望について、さらに踏み込んで言及する。

▼9月10日のDEEP JEWELS 42(東京・ニューピアホール)で須田萌里選手と対戦。

【後編】ケイト・ロータスの格闘技半生「誰にも勝てない、顔だけと言われるのが辛い」を救った母の言葉
AUTHOR

小野田 衛


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