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UPDATE|2023/07/01

「『SMAPに会いたい』が活動のすべて」だった、夏本あさみが“天職”グラドルになるまで

夏本あさみ 撮影/田中健児

20代最後の日である6月30日に、待望の1st写真集『ラストシーン』(KADOKAWA)を発売した夏本あさみ。記事前編ではその卓越したプロフェッショナリズムに迫ったが、後編では“令和のハイレグクイーン”誕生までの道のりを振り返りつつ、独自のグラビア哲学をさらにディープに語ってもらった。

【写真】“軟体グラドル”夏本あさみの撮りおろしカット【10点】

夏本あさみがグラビアアイドルとして世に出たのは、25歳を目前に控えたタイミングだった。正直なところ、周りに比べると遅咲きといえるだろう。それまでもグループアイドルの一員として活動していたものの、本人曰く「まったくもってパッとしなかった」とのこと。芸能界で自分の居場所を見つけるために紆余曲折を繰り返していたようだ。

「とにかく私の場合、『SMAPに会いたい』という気持ちが芸能活動のすべてだったんですよ。SMAPは親も大好きだったし、私も年に1回くらいコンサートに行っていました。小学校の作文にも『大人になったらSMAPと一緒に仕事します』って書きましたね(笑)。

だからSMAPに一歩でも近づくためにデビューしたようなものだし、グラビアに転身したときも最初に考えたのは『これで中居(正広)くんに一歩近づけるかな?』ということ。動機が不純だと言われたらそれまでですが、SMAPがいたからこそ、今まで真剣に頑張ってこられた面はあります」

出身は京都府。18歳のとき、「上京してタレントにならないか?」とスカウトされた。だが当時は短大に入学したばかりだったため、実際に芸能活動を開始したのは卒業後の20歳からになる。22歳からはアイドルグループ「ハート×ストリングス」の一員に。同グループ解散後は、「放課後プリンセス」の候補生ユニット「放プリユース」のメンバーとして汗を流す。しかし、こちらも体調不良によって卒業を余儀なくされた。

「ハート×ストリングスのときは本当に鳴かず飛ばずで、『このままじゃSMAPに会えない……』という焦りがありました。だけど当時の放プリはユニバーサルミュージックからデビューしたりして勢いがあったので、チャンスだと考えたんですね。候補生なのに24歳って、冷静に考えるとアイドルとしては遅め。だけど私は『売れたい』という気持ちよりも『どうしたらSMAPに会えるか』ってことしか頭になかったから、呑気なものでした(笑)。それでグループを辞めて半年くらい経って、グラビアを始めることになるわけです」

とはいうものの、夏本自身もグラビアアイドルのスタートとしては年齢的にギリギリだということは理解していた。土俵際から逆襲するつもりでリリースした最初のDVD&Blu-ray『夏恋』は、セクシーなハイレグ姿と軟体ボディが注目を浴びてヒットを記録。ここでグラビアを主戦場とする覚悟を決める。

CREDIT

取材・文/小野田衛 撮影/田中健児


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