FOLLOW US

UPDATE|2023/05/14

戦犯と呼ばれて…永田裕志「誰かが“幻想”を崩す必要があった。それが自分の格闘技戦だったんです」

撮影/松山勇樹


「最初のミルコ戦は自分の意思もあったけど、2回目のヒョードル戦は2度断っているんですよ。だけど最後は(故・アントニオ)猪木会長に恥をかかせるわけにいかないということで、不承不承、対戦することになりまして……。あの頃はマスコミも含めて『プロレスこそが最強の格闘技』という幻想が残っていた。だけど、誰かがどこかのタイミングでその幻想を崩す必要があったんですよ。結局、僕はその捨て石になったということです」

当時はプロレス幻想を打ち壊した“戦犯”とも言われたが、今振り返ってみると、永田の主張は一理も二理もある。現在は観戦リテラシーも上がり、格闘技とプロレスは完全な別物と誰でも知っているはずだ。たとえばオカダ・カズチカや内藤哲也のMMA参戦を期待するファンはほぼ皆無だろう。だが「キング・オブ・スポーツ」を標榜し、ボクシングや空手などの他競技を巻き込んで異種格闘技戦を行ってきたのは他ならぬ新日本。肥大化した観客の幻想に、どこかで終止符を打つ必要があった。

「その結果、どうなったかといえば『プロレス凋落のA級戦犯』と散々バッシングを浴びて……(苦笑)。会社としても『永田は傷物になった』ということで、新日本の柱からは外れていったわけです。ただ、その誰も望まない役をやるのが僕しかいなかったのも事実なんですよ。武藤(敬司)さんたちは新日本を離れていたし、僕にはアマチュアレスリング(グレコローマン)の経験もあったし。あとは若手だと中邑選手も格闘技に対応できるということで巻き込まれていましたけど。

もう少し早く生まれていたら、あるいはもう少し遅くプロレスラーになっていたら、こんなババを引かないで済んだのではないか? 少しだけ、そう考えたこともありますよ。でも、そう考えると自分が惨めになるじゃないですか。だから気持ちを切り替えて、プロレスのリングでガンガンやり合っていましたね」

あまりにも理不尽な話だが、サラリーマン社会でも見られる光景かもしれない。会社命令によって望んでもいないことをやらされて、その結果がダメだったら『傷物になった』と責任を取らされる。永田の場合、やり場のない怒りをひたすら試合にぶつけた。その結果、生まれたのが白目でのファイト。誤解されがちだが、あの白目はコミカルに大向こう受けを狙ったのではなく、憤懣やるかたない怒りの表現なのである。

「猪木さんは口を酸っぱくして『プロレスとは怒りの感情だ』と言っていたんですよ。よくやく僕も試合で殺気を出せるようになったのが、その頃。それは顔を作るとかいう話ではなくて、感情を爆発させる行為ですね。どんな職業でも、キャリアを重ねるからこその苦しみってあると思うんです。

僕の場合は試合にそれを投影していますが、会社員の方もストレスを発散する場所は持っていたほうがいいかもしれませんね。一番いいのはジムとかで身体を動かして、おもいっきり汗を流すこと。狂ったようにカラオケで発散してもいいと思う。場合によっては、それがお酒でもいいんじゃないですかね。ただし、周りに迷惑をかけないという条件つきですが(笑)。たとえ窓際に追いやられても腐らず、自分で居場所を作っていこうと踏ん張れば、道は自ずと開けていくんじゃないでしょうか。絶対に誰かはあなたのことを見ていますから」
AUTHOR

小野田 衛


RECOMMENDED おすすめの記事