──それで、どうしてAKB48に入ろうと思ったんですか?石田 さらに話は遡るんですけど、小学生の時にドラマ版の『電車男』を見て、その中に出てくるメイドさんに憧れたんですよ。それで「メイドさんになりたい!」と。それは今も私の夢なんですけど(笑)。
──やろうと思えば、すぐにでも叶う夢だと思いますけどね(笑)。石田 小学校の卒業文集にも「キラキラした秋葉原で、可愛いメイドさん、アニメ、フィギュアに囲まれて生活する!」って夢を書いていたんです。その頃は今よりもアニメにのめり込んでいたので、アイドルに関心を持こともなかったんですよね。ただ可愛い女の子が好きというのは一貫していて、同じ年の橋本甜歌ちゃん(てんちむ)が好きで、彼女の出ていた『天てれ(天才てれびくんMAX)』の大ファンでしたし、専属モデルを務めていた『ピチレモン』も買っていました。
『ピチレモン』には、いろいろな芸能事務所の募集広告が掲載されているページがあったんですけど、そのページを開いたら「あなたもAKB48になりませんか?」みたいな文字が飛び込んできて。一目見て「真ん中の子が可愛い!」と思ったのが、前田敦子さんでした。それを見て私もなりたいと思ったんです。
──よく名前も知らないグループに入りたいと思いましたね。石田 ですよね(笑)。それでお母さんに「秋元康って人がプロデュースするアイドルグループのオーディションを受けていい?」と聞いたら、両親はおニャン子クラブ世代なので、「秋元先生のところならいいんじゃないか」と。何が何でも合格するという感じではなく、記念受験みたいな気持ちで応募したんです。『僕の太陽』が出たぐらいのタイミングだったんですけど、応募後に調べてみたら、めっちゃ良い曲ばかりで、メンバーも可愛い子ばかりだから、「絶対に受かりたい!」という強い気持ちでオーディションに臨んだら合格しました。
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