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UPDATE|2023/12/02

キャプテン渡辺の競馬人生、あの日あの馬券を買っていれば「借金返済どころか人生も変わっていた」

キャプテン渡辺 撮影/松山勇樹

『ウイニング競馬』(テレビ東京系)をはじめ、数々の競馬メディアで名前を見ない日はないほどの芸能界屈指の競馬好きとして知られる芸人・キャプテン渡辺。昨年、11年ぶりとなる単独公演『漫談スタイル』が大盛況を呼んだ彼が、今年も単独公演『漫談スタイル2』を12月4日(会場:野方区民ホール)に開催する。今回もマイク一本、身一つで最大限の笑いを追い求めるキャプテン渡辺に、開催前の心境について、そして自身の笑いの源であるギャンブル、そして「大きな軸」と語る競馬について深く聞いた(前後編の後編)。

【前編はこちら】競馬芸人・キャプテン渡辺の葛藤「“芸人”を名乗っておきながら、レースの予想しかしていない」

【写真】競馬芸人・キャプテン渡辺

キャプテン渡辺と競馬の蜜月関係は1996年から始まった。お笑い芸人を志し大阪へ向かった二十歳の渡辺青年は、バイト先の友人に連れられて行った宝塚記念で、馬連を見事的中。この勝利で競馬の面白さに目覚め、ほぼ休みなく見続け、気づけば27年が経過。彼の芸人の歴史を裏返すと、そこには彼の競馬の歴史も色濃く刻まれている。ここから、これまでの足跡を追うと同時に、競馬にまつわる深い想い出も聞くことに。

忘れられない想い出として真っ先に上がったのは1998年夏のこと。「ここから僕の人生の歯車は大きく狂いだしていった」と、日本ダービーの苦い記憶について語りはじめた。

「僕より競馬に詳しい友だちと一緒に大阪の場外馬券場に買いに行き、スペシャルウィークとキングヘイローの馬連を9万円分買いました。残った1万円分はボールドエンペラーの馬連に当てようとしたら、『そんなの絶対、来うへんで!』と友だちにデカイ声で言われて。まあ、詳しいヤツが言うならそうかも……と、タヤスアゲインの馬連に変えたんです。

そうしたら、思いっきりボールドエンペラーが2着に来た!その倍率、なんと131倍。

この当時はバラエティタレントの育成コースがある専門学校内で組んだ相方が芸人を辞めてしまい、一人になった僕はパチンコと競馬しかしない日々。そのせいもあり、ここから約15年に渡る怒涛の借金生活が始まってしまうんです。あの時、友人の声に耳を貸さずボールドエンペラーの馬連を買っていれば、間違いなく借金生活は回避できていたはず。しばらく友人を恨みましたよ(笑)」

専門学校卒業後はひたすらフラフラと過ごしていたが、2000年に入り現状を打破するため、初の上京を敢行。目まぐるしく変わる環境、唯一変わらなかったのは競馬への熱。中でも、テイエムオペラオーへの想いは熱かった。

「当時の僕は本命馬券派で、オペラオーとメイショウドトウには、たくさん勝たせてもらっていました。プラス、オペラオーは当時から世間的評価が低く、それが非常に腹立たしかった。年間無敗、しかも史上初の古馬中長距離GI完全制覇の馬が、なぜ不当に下げられなければいけないのか⁉って、激怒していました。

この頃は、専門学校の先輩のジャック豆山とコンビを組み、各事務所が開催していたネタ見せライブに出演しまくっていたのですが、全く箸にも棒にも掛からない毎日。なのに、心では、『俺はダウンタウンを超えられる!』って死ぬほど尖っていました(苦笑)」

AUTHOR

田口 俊輔


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