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UPDATE|2023/11/19

自己破産、胃がん…60歳目前の危機を乗り越えた元プロレスラー・田上明…それを支え続けた妻の独白

奥様は残念ながら写真NG。写真は、愛娘の菊乃さんと。奥様の経営する『ステーキ居酒屋チャンプ』(茨城県つくば市)にて。 撮影/丸山剛史

四天王プロレスの一角を担って一時代を築いた田上明は、現在、妻の経営する『ステーキ居酒屋チャンプ』(茨城県つくば市)に常勤しながら余生を送っている。ノアの社長職を退いてからはほとんど表舞台に出る機会もなかったが、初の自伝『飄々と堂々と 田上明自伝』(竹書房)出版を機に封印していた過去を明かし始めているのだ。

【写真】愛娘とともにステーキ肉に包丁を入れる田上明、ほか撮り下ろしカット【9点】

 2016年のノアの身売り劇では、丸藤正道や杉浦貴などといった他の役員が取締役を辞任したため、田上1人で団体の負債4億円を抱え込むことに。その結果、自己破産を余儀なくされ、宅配便業者で仕分けのアルバイトをしながら生活を立て直していたという。また18年には胃がん発覚から胃の全摘出手術も受け、ファンを大いに心配させた。

 ENTAME nextは渦中の田上をキャッチすることに成功。尋ねたいことは山ほどあった。「なぜノアの社長を引き受けることになったのか?」「4億もの借金を仕分けのバイトで返せたのか?」「ステーキ屋での再起を考えた理由は?」「50歳を過ぎてからの異業種転職で苦労も絶えなかったのでは?」などなど……。

 しかし『チャンプ』で実際に取材を始めると、本人は質問をのらりくらりと得意の“ぼやき節”でかわす。「よく覚えてないな。そのへんの細かいことは、こいつに聞いてよ」そう言って声をかけたのが店内にいた妻だった。その結果、“田上明の苦労話を、夫人から伺う”という異質のインタビューが成立した。しかし、これを読めば自己破産という絶体絶命の危機を田上ファミリー全員で乗り越えたことが十分に伝わるはず。それと同時に不器用で口下手な“田上火山”の魅力が少しでも届けば幸いだ。(前後編の前編)

     *     *     *

「三沢(光晴)さんが試合中の事故で亡くなり、主人がノアの社長になったのは09年のことでした。でも、その前からノアの経営は苦しかったんですよね。半年くらい選手の給料が遅れていましたし。そもそもプロレスラーって長期の住宅ローンが組めないんですよ。ケガが付き物の職業だから、銀行の審査がなかなか通らない。でも、短期だと1回の額が大きくなるじゃないですか。給料が遅れるとそれが払えないし、当時は子供の教育費も一番かかる時期だったから、これは大変だぞということになりまして。

 それまでも私はここでちゃんこ料理屋をやったり、別の場所で友達と一緒に居酒屋をやったりしてはいたんです。当時は『家賃も負けてくれるそうだし、儲けは少ないけどパートに出るよりはマシかな』みたいな軽い気持ちだったんですよね。ところが主人がノアの社長を引き受けたことで背に腹は代えられないというか、失敗が許されない状況に陥った。そこで頭に浮かんだのが、松永さんのステーキ屋さんだったんですよ。あのお店は私の実家のそばにあるので、よく行っていたんです」

 ここで名前が出た「松永さん」とは、デスマッチファイターとして名を馳せた松永光弘のことを指す。松永はステーキ屋『ミスターデンジャー』で成功を収め、そのカリスマ経営者ぶりがメディアに取り上げられることも多い。松永の引退相手をノア所属の齋藤彰俊が務めたことから、田上とも関係ができていったという。
AUTHOR

小野田 衛


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