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UPDATE|2023/10/06

衝撃のベビーフェイス・大瀧沙羅「今も友達とプールに行く時はビキニ、水着もたくさん持ってます」

撮影/松山勇樹

今年3月、高校卒業と同時に芸能事務所に所属して、芸能活動をスタートさせた大瀧沙羅。デビュー4か月で『週刊ヤングジャンプ』で初グラビアを飾り、あどけなさの残るルックスと、均整の取れたプロポーションから「衝撃のベビーフェイス」と話題を呼んだ。その後もコンスタントに週刊誌のグラビアを飾る一方で、8月からはダンスボーカルユニット「MASK OF GODDESS」のダンサーとしても活動する彼女の半生を振り返ってもらった。

【写真】衝撃のベビーフェイスと話題に、大瀧沙羅の撮り下ろしカット【9点】

――8月からダンスボーカルユニット「MASK OF GODDESS」のダンサーとしても活動していますが、もともとダンスをやっていたとか。

大瀧 小学3年生からダンススクールに通い始めて、「将来はダンサーになりたい!」というぐらい力をいれていました。ガールズ、ヒップホップなど、いろんなジャンルをやっていて、高校ではダンス部の部長も務めていました。

――本格的に打ち込んでいたんですね。

大瀧 ダンス一色でしたね。小学生のときにキッズダンサーとしてディズニーランドで踊ったこともありますし、短期でロサンゼルスにダンス留学したこともあります。

――人前でパフォーマンスするのが好きだったんですか?

大瀧 好きでした。ただダンスを始める前はシャイな性格で、前に出られなかったんです。でもダンスを始めて、発表会や大会に出るようになって、人見知りやシャイな部分は改善されました。

――高校でダンス部の部長を務めていたということはリーダーシップがあったんですね。

大瀧 自分では分からないですけど、推薦で部長をやることになりました。めちゃめちゃ強い部活という訳ではなかったんですけど、関東大会まで行きましたし、文化祭で披露するダンスの振り付けをやったり、大会に向けて衣装を揃えたりしていました。

――いつ頃までダンサーを目指していたんですか。

大瀧 中学生の途中までです。当時、Netflixで配信されている『セリング・サンセット ~ハリウッド、夢の豪華物件』というドラマを観たんですが、ロサンゼルスが舞台で、富裕層向けの豪邸を売買する不動産のお話で。男性が活躍することの多い業界で、女性だけで何億もの物件を動かしている姿がかっこよくて。私もなりたいと思って、中学の終わり頃から不動産に興味を持ち始めたんです。当時は芸能活動をやるなんて全く考えていなかったので、不動産系の専門学校に進学しました。今後は芸能一本でやっていきたいと考えています。

――専門学校は出席率も厳しいですし、芸能活動も忙しくて、最近はどんなスケジュール感なんですか?

大瀧 週5で学校があって、だいたい16時ぐらいまで授業があるんです。その後にMASK OF GODDESSのレッスンや、そのほかのお仕事があって。土日も大体、お仕事が入っています。(※その後、仕事が忙しくなったのもあり専門学校は一度退学)

――ほとんど休みがない状況なんですね。MASK OF GODDESSの活動はいつ頃から始まったんですか。

大瀧 6月ぐらいです。集められたメンバーはボーカル二人にダンサー三人の5人組ユニットです。パフォーマンス重視で、歌もかっこいいですし、ダンスにも力をいれているので、自分に合っているなと思いました。すごく楽しいです。

――9月30日(土)に大洗海上花火大会に出演するそうですね。

大瀧 そうなんですよ! 例年、約3万人の人出があるらしくて、そんなに大勢の前で踊ったことがないので今から緊張しています……。
AUTHOR

猪口 貴裕


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