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UPDATE|2023/09/09

瀧山あかねがNMB48からアナウンサーに転身するまで「大学時代は飲み過ぎで3日酔いにも」

瀧山あかね 撮影/荻原大志

バラエティ番組では「趣味はシーシャ」「歴代の彼氏は経営者」などプライベートを赤裸々に明かし、5月には『週刊プレイボーイ』で水着表紙を飾った。ステレオタイプな女性アナウンサーの概念を変えようとしているのが新しい未来のテレビ「ABEMA」専属アナウンサーの瀧山あかねだ。規格外のアナウンサーはどうやって生まれたのか。NMB48時代から、青春を謳歌した大学時代、アナウンサー試験での挫折まで聞いた。

【写真】新しいアナウンサー像を開拓し続ける、瀧山あかねアナ撮りおろしカット【10点】

世間一般のいわゆる“アナウンサー像”の逆を行き、注目を浴びているのが瀧山アナだ。

番組ではシーシャバー通いや経営者と付き合っていた過去を明かし、今回の取材でも「港区女子ではないですが、港区でも遊んでいます」とあっさり告白。隠さないのは私生活だけでなく、5月に発売された『週刊プレイボーイ』では水着となり、見事なプロポーションを披露した。

「今では私がこういうキャラだとみなさん知ってくださっているので、何も隠さなくてよいのですごく楽になりました」

ありのままの姿を見せている瀧山アナだが、これまでの歩みもいい意味で派手だ。子どものころは「いい意味でも悪い意味でも目立ちたがり屋」。学級委員も務め、体育祭や文化祭でも盛り上げ役を務めた。中学ではモデル事務所に所属する一方、ソフトテニスに打ち込み、兵庫県で3位にもなった。

「真剣に部活ばっかりやっていたので、モデルの仕事はできないだろうというくらい、肌が真っ黒になっていましたね」

高校に入ると、転機が訪れる。もともとアイドルが好きだったこともあり、NMB48の「第2期生オーディション」を受けると、見事合格した。2期生は後にチームMとなるメンバーが所属。当時については「忙し過ぎて記憶があんまりないんです」と笑う。

「研究生ですけどNMB48はまだ人数も少なかったので、忙しかったです。公演だったり握手会だったりで、学校にもあまり行けなかったし、修学旅行も体育祭も文化祭も全部行けませんでした」

多忙すぎる日々の中、アイドルと学業との両立の難しさを感じた。瀧山アナが当時通っていたのは関西学院大学の付属高校だったが、勉強する時間がとれず「このまま大学進学のチケットを手離してしまっていいのか」と悩んだ。最終的に選んだのは進学。NMB48は1年で卒業した。

「辞めたことに後悔もありました。できることなら両立したかったんですが、現実的に無理だったので……。後々になって、いったん活動休止するという選択もあったのかなと思うぐらいには引きずっていました」

卒業後も2期生の同期とは仲が良く、特に島田玲奈、高野祐衣、與儀ケイラとは今でも遊ぶ仲だ。

「10年以上経ちますけれど、今でも2期生の子たちとしか遊んでないぐらい仲が良いです(笑)。学校だけじゃない環境でできた友達と今も一緒にいる、それが一番の財産だなと思います」

NMB48を辞めた後は、1年のブランクを埋めるべく補習に補習を重ね、大学にも無事進学を果たした。

CREDIT

取材・文/徳重龍徳 撮影/荻原大志


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