本当に家では緊張していなかったのかを尋ねると「緊張してました! デビュー戦が決まってから毎日、ずーっと緊張しっぱなしで。でも、それを表に出すと親が心配すると思って、家では緊張していないフリをしていました(笑)」
いちばん心が休まるはずの自宅で、そんな健気なことをしてきたとは……親も知らなかった娘の気遣い。それを母親に伝えると「あの子がそんなことを言ってたんですか!」と目を丸くした。
いまはまだ「田中稔の娘」「府川唯未の娘」という見られ方が多くなってしまうが、いつの日か田中稔とも府川唯未ともまったく違うプロレスラーになって、平成を知らない若いファンたちから「田中きずなって、お父さんもお母さんもプロレスラーだったらしいよ」と言われるような存在になってもらいたい。それこそがプロレスラーとして最強の親孝行になる。
そんな親子の物語に、同期・炎華とのライバルストーリーも彼女のプロレス人生を彩っていくことになる。同日デビューという事実ばかりは、あとになってから獲得しようとしても絶対に不可能。この時点でもう恵まれているわけだし、悔し涙で始まったことも、のちのちドラマになる。
何分が経っただろうか、ようやく涙を拭った田中きずなはこう言った。
「あのテーマ曲はデビュー戦限定ってさっき言いましたけど、いつになるかわからないけれども、私がタイトルに挑戦する日がやってきたら、もう1回、あの曲で入場してみたいなって思います」
悔し涙を流しながらも、何年か先のことを見据え、キリッとした表情を浮かべた田中きずな。そんなことを聞かされたら、そこまで追いかけたくなってしまうな……。153センチとけっして体は大きくないから、これからたくさん苦労するだろうけど、そんなに大きくて明確な夢を抱いているんだから、きっと乗り越えていける。お父さんもお母さんも、そうしてきたように。
「どうでしたか?」
帰り際、不安そうな表情で府川唯未が聞いてきた。
「間違いなくいえるのは、お母さんのデビュー戦を娘さんは軽々と超えたね」と答えると府川唯未は「そんなの超えてもらわなくちゃ困ります!」と言って笑った。プロレスならではの運命の連鎖が、30年の時を経て、いま、幕を開けた。