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UPDATE|2022/12/30

大晦日RIZINに参戦、闘うフリーター・所英男が闘い続ける理由「天国のKIDさんに認めてもらいたくて」

撮影/松山勇樹

総合格闘家・所英男が大みそかにRIZIN.40(さいたまスーパーアリーナ)で元UFCトップファイターのジョン・ドッドソン(米国)と対戦する。「闘うフリーター」と呼ばれたイケメン青年も、気づけばすでに45歳の大ベテラン。現在は武蔵小杉に自身のジム「所プラス」もオープン。既にフリーターではなくなった。現役で選手を続ける以上、過酷な減量や追い込み練習は避けられないうえ、試合で日常生活に支障をきたすような大ケガを負う可能性もある。所がいまだに自分を追い込む理由は何なのか? 「闘うフリーター」がいまもまだ闘い続ける理由とは──。(前後編の後編)

【写真】ときおり涙を流しながら想いを語る所英男【7点】

格闘家・所英男の原点は、クリーニング屋を営む実家の2階で兄と行った“リングスごっこ”にある。その後、上京するとアマチュア修斗や宇野薫が主催するグラップリング大会「THE CONTENDERS」などに出場。卓越したセンスで、徐々に頭角を現し始めた。

──格闘家デビューした頃、何を目標に普段の練習を頑張っていました? おカネを儲けたい、有名になりたい、女性にモテたいといったギラついた野心もあったんでしょうか?

所 あの時代は軽量級といったら修斗しかなかったので、格闘技でお金が稼げる感じではなかったんです。もちろん女の子なんて相手にもしてれくれませんでしたし(苦笑)。じゃあなんで格闘技をやっているのかといったら、単純に強くなりたかったから。当時、僕の中で大きかったのはアマチュア・リングスの大会で優勝できたことなんですよ。優勝すればリングス本戦に出場できるという話でしたからね。ところが、いざリングスに出ると小谷(直之)くんにあっさり負けてしまった。小谷くんの存在はデカかったですねぇ。小谷くんが勝ち続けている間も僕は勝ったり負けたりしていたから、めちゃくちゃジェラシーを感じていました。

──その後は「ZST四兄弟」と呼ばれ、注目されるようになりました(所以外の3人は矢野卓見、今成正和、小谷直之)。

所 あそこでもう一段、格闘技が好きになった感覚があるんですよ。矢野さんと今成さんからは、本当にものすごく影響を受けました。で、そうこうしているうちに勝村(周一朗/元修斗王者、プロレスラー)さんと出会って、後輩に金原(正徳/元SRCフェザー級王者・UFCにも参戦)さんというすごい選手が現れて……。結局、僕の格闘家人生って“人”なんですよね。すごい人と出会うことで「もっと!」という気持ちが生まれて、ここまで頑張ることができたと言いますか。

──そして所選手を語るうえで外せないのがHERO’Sでの活躍です。

所 いや~、HERO’Sのときはちょっと……。今、考えても僕が馬鹿でしたね。あの時代に格闘技で生活できるようになって、貯金も少しできたので、そのまま住み込みでアメリカに行っていればって……。

──そういう考えもあったんですか! HERO’S時代の所選手は輝いていたので、よもや後悔しているとは思いませんでした。

所 僕の格闘技人生はできすぎなくらい恵まれているんですけど、唯一、後悔が残るとすればHERO’S時代かな。独身だったし、他に仕事もしていなかった。素晴らしい環境の中、いつも通りの練習をして……それはそれでよかったんですけど、もっとアメリカを見ておくべきだったというのはすごく思います。タイムマシーンに乗って、自分を説教したいくらいです。

 所のキャリアを語る際、絶対に外せない選手がいる。故・山本“KID”徳郁さんである。両者はHREO’S時代からミドル級(-70kg)で鎬を削っており、所が試合を熱望するもなかなか実現には至らず。16年にはRIZINリングでKIDさんのおい・山本アーセンを撃破し、直後に「闘うストーカーの所英男です。10年間、KIDさんを追い続けています。僕と試合してください!」と対戦を迫る一幕もあった。しかし、そのKIDさんは惜しまれつつも18年に多臓器不全で他界。対戦は永遠に叶わぬものとなった。

──そもそもの話、なぜ所選手は山本KID選手との対戦に固執していたのですか?

所 それはもう、カッコよかったんですよね。軽量級の選手としてひとつの時代を作ったわけですから。KIDさんがいなかったらHERO’Sはなかっただろうし、僕も世に出ていなかったと思う。ましてやこんなふうに自分のジムを運営するなんて、夢のまた夢だったはず。だからKIDさんに対しては本当に感謝しかないんです。
AUTHOR

小野田 衛


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