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UPDATE|2019/04/27

平成アイドル史のターニングポイントを考える「アイドル戦国時代はいかにして起こったか」

アイドル戦国時代を彩った名盤たち。左上から時計回りに『行くぜっ!怪盗少女』(ももいろクローバー)、『夢見る 15歳』(スマイレージ)、『少女飛行』(ぱすぽ☆)、『圧倒的なスタイル』(Negicco)、『W.W.D / 冬へと走りだすお!』(でんぱ組.inc)、『BABYMETAL』(BABYMETAL)



──この時期は楽曲のクオリティも格段に上がりました。

嶺脇 アイドルの楽曲が多様化しましたよね。それによって幅広い層に受ける間口が広がったと思います。

──タワーレコードのアイドル専門レーベル「T-Palette Records」の設立も2011年です。

嶺脇 「アイドルがきてる」という流れを現場スタッフが感じたんでしょうね。「アイドルレーベルをやりたいんです」という企画が上がって来たんですけど、「大変だからやめた方がいい」って言ったんです。そんなやり取りが何度かあった中で、「強いて挙げるとしたら誰がいいですか」と聞かれたので、「Negicco」と答えたんです。当時の音源は全国流通してなかったですからね。そしたら勝手にスタッフがNegiccoの事務所に連絡して、「向こうもやりたいと言ってます」と事後報告を受けて(笑)。またタイミング良くバニラビーンズの話もあったんです。

──タワーレコード新宿店が「NO MUSIC, NO IDOL?」というメッセージの下、ポスターやインストアイベントなどアイドルコラボを始めたのも2011年です。

嶺脇 これは新宿店の店長がオリジナル企画としてやりたいってことで始めたものです。もともと店長はアイドル好きではなかったんですけど、トマパイ(Tomato n’ Pine)のインストアで曲を聴いて「カッコいい!」ってことでアイドルを追い始めたんです。タワーレコードのスタッフを見て感じるのは、先ほどもお話しましたけど音楽の多様性が独自性となって、スタッフ自身もその面白みに気づき、店頭で積極的に推してくるようになった。同時にアイドルのファン層もどんどん広がっていきました。あと、いろんなアイドルが、いろんな音楽性で活動していたことが大きかったですね。

──2012年にはタワーレコード主催のアイドルイベント「POP’n アイドル」も開催します。

嶺脇 それまでのアイドルイベントは1グループの持ち時間が短かったんですよ。ちゃんと1グループを観るのには、どのぐらいの時間が必要かを考えた時に40~50分はいるだろうと。その尺を見せられるアイドルグループを集めて長丁場でやりたいというのがあったのが1つ。あと1つは当時のハロー!は対バンに出なかったので、出てきたら面白いなということで企画したんです。なので毎回トリはハロー!でした(笑)。

──POP’n アイドルは他にはない豪華なメンツで話題になりましたけど、開催したのは2回だけで、3回目は2年半後でした。毎回、満員御礼でしたが、どうしてやめたんでしょうか?

嶺脇 1グループが長尺でやるイベントが増えたので、こちらの役目は終わったなと思ったんです。それにしても2回目は我ながら良いイベントだったなと。トップバッターがBABYMETALで、バニラビーンズ、Negicco、さくら学院、ぱすぽ☆、そしてトリがBerryz工房。で、アンコールのゲストに℃-uteも出てきてベリキューですよ! これは今で言う“神イベ”じゃないですか(笑)。

──最後にアイドル戦国時代を総括すると?

嶺脇 やっぱりももクロのブレイクですよね。そこで、いろんな仕掛けをしていって、王者・AKB48に立ち向かっていったという構図です。そこから多くのアイドルグループが生まれて、その後、BABYMETALやでんぱ組.incなどがブレイクスルーしていった。ただ当時と比べると、CDのランキングという考え方も変わってきて、ゴールが見えにくくなってしまった気がしますね。指標となるものが、ライブ会場の規模ぐらいでしか可視化できなくなってしまった。ゴールが見えなくなって戦うのに疲れたのかなと。でもストリーミングなど新たなメディアも生まれてきているので、これまでと違うやり方でブレイクを目指せば、新たなアイドル戦国時代が始まる可能性も秘めていると期待しています。



▽嶺脇育夫(みねわき・いくお)
1967年生まれ。’88年、タワーレコードに入社。’11年、代表取締役社長に就任。同年、アイドル専門レーベル「T-Palette Records」設立。さくら学院とハロー!プロジェクトをこよなく愛する。
CREDIT

取材・文/猪口貴裕


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