「攻める大和撫子」の異名を持つ女流棋士・山口恵梨子女流二段。ネットの将棋番組でのMCや解説の聞き手、自身のYouTubeチャンネルを開設するなど、普及活動に熱心でファンの多い女流棋士である。今回、初となる自身のエッセイコミックを刊行した山口女流二段に、女流棋士の世界や将棋界の話を聞いた。(2回連載の2回目)
【写真】“攻める大和撫子”山口女流二段の撮りおろしカット【10点】>>前編は
こちら──山口女流二段は小学校6年生で女流育成会に入り、高校1年生16歳で女流棋士になられましたが、もし別の人生を歩んでいたら何をしていたんでしょうか。山口 うーん。棋士は普通の職業に比べて、結構自由なんですよね。対局さえこなせば、ダブルワークもありなので、実際にしている棋士もいますし。たとえば、星野良生五段はゲーム会社に就職されていますし、休場されていますけど学者の棋士の方もいます。私は将棋を始めた6歳の頃から女流棋士となると決めていましたし、なろうと思えば女流棋士をしながらでも他の仕事ができるということもあって、女流棋士のほかには考えたことがないかもしれません。
──挫けそうになったことはなかったですか?山口 6歳という比較的早い年齢から始めたので、いつかは女流棋士なれると当時は思っていて。でもなかなか勝てなくて、なれそうでなれず……。普通にやっているだけではダメで、本当に真剣にやらないとダメなんだと気が付き、自宅にいる時間はもちろん、学校の行き帰りなど、すべての時間を将棋に費やすようになりました。
──やはり、プロの棋士になるには本気の覚悟が必要だったんですね。その後、将棋界に入って、他の女流棋士とのプレイベートでの交流などはありますか。山口 めちゃくちゃありますよ(笑)。みんな仲良しなので。女流棋士や棋士は基本子どもの頃から一緒にいる人が多く、もう何十年来の仲なんです。私の中で女流棋士はみんな親戚みたいな感じというか。もちろんライバルではあるんですけど。
──気の置けない仲なんですね。山口 むしろ私の場合、年配の男性棋士の先生に気を遣わなさ過ぎて、周りの人やファンから怒らたりするくらいですね(笑)。子ども教室でお世話になった先生たちはもう親戚みたいなものなので、肩を叩いてしまったり、フランクに話したり。以前、番組の中で深浦康市九段に携帯電話を持たせてしまったことがあったんですけど、放送後に父親から「あれは先生に失礼だろう」って怒られました(笑)。
──特に仲の良い棋士はいますか?山口 藤田綾さん(女流二段)はすごく尊敬しています。仕事がずっと一緒だった時期があって、人柄もいいですし、将棋番組の収録も全部一発撮りでOKを出されていたんですよ。努力されているんだけど、努力を人に見せないとろこがすごいですね。
──女流棋士ならではの悩み、また喜びなどありますか?山口 依頼されて受ける仕事なので、仕事がいつなくなるか分からないのが悩みですね。会社員ではないので固定給でもなく、収入面はかなり不安定なんです。逆に楽しいことは、自分のやったことはすべて自分に返ってくること。周りからの評価だったり自分自身の成長だったり。棋士をしている理由はやっぱり将棋が好きだからというのが一番で、将棋の楽しさを人に伝えるスキルを身に付ければ、いくつになっても普及の仕事はできると思っています。30代40代になって、対局でも普及でも今までの経験を活かしていきたいですね。