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UPDATE|2024/06/02

マヂラブ村上の妻・いとくとら、自分の人生と人格を変えてくれたダンスに感謝「あの出会いは特別」

DANCEROID、Q’ulleのメンバーとして活躍した『いとくとら』さん(Instagram:@ikr828)

2008年、ニコニコ動画に『踊ってみた』を初投稿して以来、DANCEROID、Q’ulleのメンバーとして活躍し、様々なフォロワーを生み出してきた『踊ってみた』のパイオニアである、いとくとら(読み方:「いくら」)さん。2022年7月に、お笑いコンビ・マヂカルラブリーの村上さんと結婚されたことで話題を呼んだ彼女に、これまで歩んできた歴史、そしてマヂラブ村上との結婚生活についてうかがった。

【別カット】『踊ってみた』のパイオニア・いとくとら「始めるの早すぎたかなあ(笑)」

――いくらさんがニコニコ動画に『踊ってみた』を初投稿したのが2008年、それから16年。今では『踊ってみた』は文化になりましたね。

いくら 嬉しいです。文化とまで言っていただけるなんて。気づけばYouTubeでもSNSでも、みなさん踊っていらして。すごいですよね。

――黎明期から活動される、“『踊ってみた』のパイオニア”として、今SNSやYouTubeで『踊ってみた』が溢れる光景を見て、どういうお気持ちですか?

いくら いやいや、パイオニアでもなんでもありませんよ(笑)。私は暇つぶしのつもりで始め、投稿を続けたのも見てくれた方に楽しんでもらえたらいいな、『踊ってみた』みんなもやればいいのになって思っていただけで。そうですね…こうして、たくさんの方がダンスに親しんでいる状況はすごく良いことだなあって思っています。

――個人的な所感ですが、『踊ってみた』がなければTikTok文化はここまで浸透・発展しなかったと思います。あと、ダンスの敷居を良い意味で下げたと思います、「誰でも気軽に踊っていいんだよ」って。

いくら なるほど、確かに。振り返ると、私や(愛川)こずえちゃんたちがやり始めたころは、インターネット上に自分の姿を晒すことはなんとなく恥ずかしいこととされていて、ほとんどの人が顔を隠して投稿していました。最初の頃は、ひとりで部屋でひっそり踊ってる映像を撮って載せるっていうのは表向き堂々と言えることではなかったです。でも、顔出しの人が出てきたり、プロの方が参入されたり、映像のクオリティが上がったり、というのを経て、どんどん『踊ってみた』っていう文化がメジャーになってきました。さらに、今はTikTokなどで老若男女問わず『踊ってみた』を投稿するという日常があって、それを楽しんで見てる人もたくさんいる…私たち、始めるの早すぎたかなあ(笑)。

――ニコニコ動画に『踊ってみた』が初投稿されたのは2007年。ダンスとの出会い、そして『踊ってみた』との出会いはどのようなきっかけでした?

いくら 小学生のころは人見知りがひどい子で、そんな私に対して母は色々な習い事をさせてくれて、その中の一つにダンスがあったんです。発表会を通じてステージ上で自分を表現する楽しさを知って色々なダンスを習うようなり、特にクラシックバレエは高校卒業まで続けるほどハマりました。
高校卒業後は親の都合でマレーシアに移り住むことになりました。自然がとても美しいけど、それ以外は何もない小さな島で。多感な時期だったのもあり、引きこもりになってしまって(苦笑)。そんな時、インターネット上の友だちから「ニコニコ動画というのが流行っているよ」と教えてもらい、回線が途切れとぎれのネットを使いながら、ニコニコにハマる生活が始まったんです。その中で、何か投稿しようかな?と考え、ダンス経験があるから『踊ってみた』をやろうと、動画を撮って投稿したのが全ての始まりでした。身内で楽しめればいいやの気持ちだったので、何もない無名の私の動画に反応が来たときは、ビックリでしたし嬉しかったですね。

――その後、ライブなどのリアルな現場へと進出していきますが、それは何がキッカケで?

いくら 投稿を始めた頃から、ニコニコ動画の演者さんたちが主催のライブが開催されていて。私も参加したい!と単身帰国して、母の同級生のご自宅に居候しながら、バイトとイベント参加の日々が始まりました。元々モデルの仕事に就きたいと思っていたこともあり、本格的に東京に移り住んで色々な事務所さんに相談し始めます。その中のある事務所さんが、「踊り手を集めて、『踊ってみた』のDVDを出したい。出せば今後モデル活動の名刺代わりになりますよ」と提案されて、確かに!と思って。そこで、交流のあった二人(愛川こずえ、ミンカ・リー)を誘ったんです。

AUTHOR

田口 俊輔


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