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UPDATE|2024/04/27

アイドルから演歌歌手へ・望月琉叶「貧しかった母が諦めた夢…大手企業の内定を断って」

撮影/松山勇樹


 もちろん望月とて、同年代の少女たちと同様に様々な流行カルチャーを吸収していった。音楽ではボーカロイドやL’Arc-en-Cielにハマり、高校時代は軽音楽部でバンド活動も行うようになる。しかし心の中心にあるのは、やはりいつだって演歌だった。

「演歌歌手になりたくてオーディションも受けるようになったんですけど、合格しても『アイドルグループでデビューしませんか?』という話になることが多かったんですよ。街を歩いていてスカウトされることも結構あったんですけど、そこでも『女優になりませんか?』『アイドルになりませんか?』というパターンばかりで。ガッカリしますよね。

私は芸能人になりたいわけではなく、あくまでも演歌歌手になりたかったので。そうこうしているうちに大学4年生になって周りが就活を始めたものだから、私も真似してリクルートスーツを着てみたら、明治安田生命さんに内定が決まったんです。そこで演歌の道は完全に途絶えるはずだったんですけどね」

 友達の誕生日プレゼントを買いに代官山をぶらついていた望月は、現・所属事務所社長からスカウトの声をかけられる。聞けば、またしてもアイドルグループ加入のお誘いだった。「アイドルはやる気ないんですけど……」。そう言いかけたところ、アイドルはアイドルでも名前は「演歌女子ルピナス組(のちに「民族ハッピー組」と改名)」であり、演歌がテーマのグループだということが告げられる。

さらに望月にとって魅力的だったのは、演歌歌手ルビナス組が海外での活動も積極的に行っていたことだった。正直、日本のアイドルシーンでは決してメジャーとは言えないグループだったものの、アジア圏での人気は意外なほど高かった。望月自身も学生時代にボランティア活動で東南アジアに行く機会があったため、海外志向は人一倍強かったのだ。

「内定をもらったとき、両親は喜んでパーティみたいなことをやってくれたんですよね。だけどいろいろ考えた末にアイドルをやろうと決意して、『ごめん。また改めて話があるんだ』と切り出しまして……。親戚は『その話、本当に大丈夫なの?』とか心配していました。安定した仕事を捨てるなんてもったいないという気持ちだったんだと思います。

母は私が演歌歌手を目指していたことも知っていたから、『琉叶がそこまで言うなら』って応援してくれましたけど。いずれにせよ、もう後戻りできないなと覚悟を決めたのは確かです」

 そこからは怒涛の勢いでアイドル活動に邁進した。グループに加入したのが2018年。やがて持ち前の歌唱力で頭角を現すようになり、2020年からはグループ活動と並行するかたちで演歌歌手としてソロデビューを果たす(グループには2022年末まで在籍)。2021年12月には日本レコード大賞で新人賞も獲得。長い下積みが当然とされる演歌界にあって、この上なく順調なスタートダッシュを切ったといえるだろう。
AUTHOR

小野田 衛


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