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UPDATE|2023/08/26

グラビア文化のない韓国から日本へ…ピョ・ウンジ「日本でのグラビアは夢だけど、遠い世界だった」

撮影/たむらとも

SNSフォロワーは360万人超え、1動画の再生回数は1000万回超えと、母国の韓国のみならず、世界中にファンを持つ大人気YouTuber であり、モデル・俳優としても活躍するピョ・ウンジ。日本でもグラビアを中心に積極的な活動を行う彼女が、8月10日に初の写真集『輪舞曲』(KADOKAWA)を発売した。ベールに包まれた彼女のキャリアと、グラビアへの思いを紐解く。

【写真】「写真集はこれまでのグラビアの集大成」ピョ・ウンジの撮り下ろしカット【12点】

ウンジが物心ついた頃、韓国では後に“第一世代”と呼ばれるガールズグループが全盛期を迎えていた。テレビでそうした華やかなエンターテイメントの世界に触れるうちに、俳優やモデルになりたいという夢を抱くようになった。

「芸能活動をしたいという夢は、ずっと頭の片隅にありました。でも、それを母に伝えると猛反対されました。それで一旦、夢は諦めたんです……」

中学時代、一人でアメリカに行って、大きな転機が訪れた。

「本来アメリカは1週間ほどの滞在予定だったんですけど、行ってみたら、思いのほか楽しすぎて。そしたら母が『大きい世界を見てきなさい』『やりたいことがあるなら大学を出てからやりなさい』とアメリカの学校に行くことを勧めてくれました。確かに勉強はやればやった分、ちゃんとした結果が出るけど、芸能界は自分の実力だけじゃどうにもならない部分もあるなと。そういう現実も成長と共に分かってきたので、中学から大学までアメリカの学校に通いました」

大学卒業後は帰国して韓国の投資会社に入社した。だがアメリカで長く生活したため、韓国の企業風土に馴染むことができなかった。

「久しぶりに帰国して、すぐに就職したので、韓国の会社ならではの文化にもどかしさを感じて、フラストレーションが溜まっていったんです。そんなときに、たまたまカメラマンさんに写真を撮ってもらう機会に恵まれて、撮影してもらった作品を見たときに、そういえば私には芸能界に行きたいという夢があったんだと久しぶりに思い出しました。そこからは気持ちを抑えきれなくて、夢を叶えないと一生後悔すると思ったので、会社を辞めました」

特にビジョンもなくフリーランスで活動を始めたが、知人の伝手でオンラインストアのモデルを務めたり、ウェブドラマに出演するチャンスに恵まれたりと、芸能活動は順調な滑り出しだった。それをきっかけに新たな仕事も舞い込むようになった。DJとして音楽活動も行い、事務所にも所属。YouTubeチャンネルを開設したのも、その時期だった。

「そもそもYouTubeチャンネルを開設したのは事務所の意向で、仕事の一環として始めたんです。ただ事務所との契約が終わった後も、日常生活の動画をアップしていたら、たくさんの人が見てくださって、そのまま続けることになったんです。だから、ここまで広がるとは思っていなかったです。

ただ英語ができるという強みがあったので、動画を上げるときも英語のナレーションを入れて、海外の方にも楽しめるようにしたんです。それが功を奏して、海外で見てくださる方々も増えて、その流れで海外関連のお仕事もいただくようになりました。狙ってやった訳ではないんですけど、強みを生かしていくうちに、自然と海外の仕事に発展していったんです」

台湾、アメリカ、ヨーロッパ圏など世界中に視聴者数を拡大していく中、日本の視聴者も増えていった。

「日本の視聴者が増えたことに関しては全く予想していなかった部分があって。というのも日本は他の国に比べてグラビア文化が発展しているし、その分、素敵なモデルさんもたくさんいらっしゃるから、私のグラビアは需要がないと思ったんです。グラビアをやりたいという夢はあったけど、日本では叶わぬ夢で、遠い世界だと思っていました。いまだに日本からグラビアのオファーをいただけるのは不思議な気分です」
AUTHOR

猪口 貴裕


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