本作の主人公・シンジは、牧監督が窪塚をイメージした当て書きの役柄だそうだが、窪塚自身にはその実感はあまりなかったという。
「当て書きと言われたかどうかも曖昧なんですよ。当ててくれていてもいなくても、面白いものは面白いし。それに、前半のシンジは自分自身とはかけ離れた感覚があったので、当て書きと言われていたとしてもピンと来なかったのかもしれない。『俺はこんなんじゃねぇ』って(笑)」。
“前半のシンジ”とは、理不尽な理由で会社をクビになり、妻子からも三下り半を突きつけられた、まさしく人生のどん底。「自分自身とはかけ離れた感覚があった」という発言を深堀りすると、言葉に隠れた彼の本音が垣間見える。
「怪我をして鬱屈としていた時の自分がわかるので、嫌なんですよ。マンションから落っこちた時からの数年間みたいで、『もう思い出したくない』っていうか。その時のどん底感は、ぶっちゃけシンジよりあったかもしれない。共感できないというよりも、自分はそんな感覚は共感し尽くして這い上がったみたいなところがあるので、『もうあれはいいよ』みたいな」。
その後、“シンクロニシティ”によって強奪計画へと導かれていく主人公・シンジには「一発逆転でどうにかしたい、どうにかなれと思って宝くじ買っちゃうみたいな感覚はわかる」と共感。
「当時、金もなかったし、この歳になって親のすねかじるのかみたいなところもあったし。親父にはコンビニでバイトしろとも言われた。犯罪には走らなかったけど、環境によってはシンジのようになっちゃうこともあるだろうから。俺がつるんでいた仲間にはそういう奴らがいなかったので助かった部分もあったとは思う。そういう意味では恵まれていた」と転落事故後の自身を振り返る。
人付き合いで大切にしているのも、作品選びと同じく「直感」。「まず自分が本当に好きか、楽しいかというのが、一番でかい。何よりそれを大事にしていれば間違いない」と語る。
その一方で、「さすがに全部『俺は嫌いなやつは嫌いなんだ』という接し方はしていない。愛想笑いもできるし、合わせることもできるし」とも。
さらに窪塚は「ただ、絶対に自分自身には嘘をつかないようにはしてる。『今、俺はあいつに嘘ついてるよな』というのを自分自身と共有しないと、本当の自分がわからなくなっちゃう。そういう時があったんですよ」と続ける。
「例えば、自分が歩いていて、前の人が止まっている自転車を倒したとする。そういう時に、自分がどういうアティチュードをしていた人間だったかが思い出せないんですよ。『俺、ここで何も言わずに自転車を起こしてたっけ』『通り過ぎてたっけ』『呼び止めて注意してたっけ』『直させてたっけ』って。あまりにも自分の寄る辺がなさすぎて、『俺はこう』っていうのがわからなくなって、むっちゃ嫌だったんです。たぶん役者病みたいな感じで。それが極まってマンションから落っこちてる気もするんですよ。わかんないけど」。
『GTO』『池袋ウエストゲートパーク』『GO』『ピンポン』などの話題作に次々と出演し、世間の注目を集める陰で、少しずつ自我を見失いかけていた彼が、事故後に切り開いたのが音楽の道だった。
「レゲエDeeJay“卍LINE”は、俺がなりたい俺だったんですよ。約10年活動して、やっと捕まえた。幸いにもあの頃のような状況には、それ以降なってない」と、確固たる自分に出会えたことで、軸をぶらさずに活動ができるようになったことを打ち明けた。