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UPDATE|2021/02/05

日本で最も恐れられる雑誌『週刊文春』はいかにして週刊誌のトップランナーになったのか

スクープの裏側を追ったノンフィクション『2016年の週刊文春』(光文社)


──全部が繋がっているんですね。

柳澤 同じようなことが、江川紹子さんに関しても言えるんです。坂本堤弁護士と、オウム真理教被害者の会をつないだのはじつは江川さん。坂本弁護士一家が失踪すると、責任を感じた江川さんは「オウム真理教を追うために、他の仕事はしない」と覚悟を決めた。彼女を全面的にサポートしたのが『週刊文春』です。フリーランスの立場でジャーナリストをやるのは、生活面が非常に不安定になりますからね。坂本弁護士一家失踪事件が1989年でしたが、一度は迷宮入りしてしまって、記事にならない時期も長かった。地下鉄サリン事件が起こったのが1995年ですが、6年も経って初めて、オウム問題といえば江川紹子だとひっぱりだこになるわけです。江川さんには、いろんなオファーがあったはずですが、どこよりも優先して『週刊文春』に書いたのは、苦しいときに助けてくれたから、恩義に感じたということです。いわば花田週刊の置き土産なんです。

『週刊文春』時代、僕が書いた記事で、日本全国の右翼組織から文藝春秋に猛抗議が殺到したことがあったんです。(※詳細は『2016年の週刊文春』を参照)。でも、当時の花田さんは、僕に一切そのことを伝えなかった。自分が盾になって部下を守ってくれたんです。すべての責任は自分がとる。そんなカッコいい編集長には、そりゃあみんながついていきますよ。

※後編<『週刊文春』を作った2人の天才>はこちらから。


▽『2016年の週刊文春』(著者:柳澤健/発行元:光文社)
列島を震撼させるスクープを連発し、日本で最も恐れられる雑誌となった『週刊文春』。そのスクープの裏側には愚直な男たちの物語があった。花田紀凱と新谷学、『週刊文春』をトップにした2人の名物編集者の話を軸に、記者と編集者たちの熱き闘いの日々を描いた痛快無比のノンフィクション。著者は『1976年のアントニオ猪木』『1984年のUWF』などで高い評価を得るノンフィクション作家・柳澤健氏。
AUTHOR

小野田 衛


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