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UPDATE|2019/12/29

「新国立競技場の景色が見たい」と語った百田夏菜子の想いと、ももクロの“新たなる旅路”

左から佐々木彩夏、玉井詩織、百田夏菜子、高城れに


2014年3月、ももクロは旧・国立競技場でコンサートを開催した。女性グループとしては初の快挙だった。そもそもはまったくの無名時代に本人たちも叶うわけはないと思いながら掲げた国立競技場という大目標。それがあれよあれよという間に人気が沸騰し、気がつけば国立が目前まで迫ってきていた。

しかし、東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて取り壊されることが決まっていたため、メンバーは「2020年以降に新国立競技場で」と心の中で目標を書き換えはじめていたのだが、本当にギリギリのタイミングで旧・国立競技場のステージに間に合った。

いろんな意味で、ももクロに、そしてアイドル業界全体にいい風が吹いていた時代だった。

しかし、現状を考えると、これから自分たちで風を起こしていかないと、新国立競技場まで到達するのは、なかなか難しい。

実は12月24日に発売されたばかりのムック『OVERTURE』021に掲載されたインタビューでも、百田夏菜子は新国立競技場について言及している。

詳しくは誌面をご覧いただきたいが、正直、このインタビューの段階では、夏菜子は「新国立競技場」というキーワードを遠ざけよう、遠ざけようとしていた(インタビューは11月に収録)。この時点ではまだ覚悟が決まっていなかったのだろう。

とにかく「来年、オリンピックで楽しむほうが先!」という話に持っていこうとしていたのが印象的。このインタビューのラストで語った文言と、ステージでの発言を見比べていただければ、令和元年の暮れにももクロがどれだけ葛藤し、いかにして腹を括ったのがよくわかる。

彼女たちは周りが思っている以上に、自分たちのことを冷静に見ている。

新国立競技場でコンサートを開くことの大変さはよくわかっているし、いまの自分たちが易々と口にしていいことではないこともわかっている。

同じ号に掲載したインタビューで玉井詩織は、国立競技場でコンサートを開催した当時のことを振り返り「あのころの自分たちにちゃんと顔向けができるだけのことをできているのか?」と今の自分たちを戒めた。

このとき玉井詩織はサラッと「そんなことをみんなで話した」と語っているが、さいたまスーパーアリーナで新国立競技場に向けて語るとき、百田夏菜子は「これからについて4人で話し合った」と口にしている。つまり『OVERTURE』のインタビュー収録のタイミングと、メンバー同士で新国立競技場をはじめとした近未来の夢について話し合った時期は絶妙にリンクしていた、ということになる。

それを頭に入れた上で、そして、新国立競技場でのコンサート開催を宣言したという事実を知った上でインタビューを読み進めていただけると、また違った読後感が味わえると思う。すでに読んだ方は今一度、お手元の本を開いていただき、まだ読んでいない、という方はぜひとも入手していただき、この年末年始に読んでいただければ幸いだ。
AUTHOR

小島 和宏


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