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UPDATE|2019/12/28

吉本坂46・榊原徹士が語るどん底時代「お金以上にきつかったのは“自分には何もない”という感覚」

撮影/西邑泰和


グループ解散後は、さらにファンの方の数も減り続けることになり……。あまりにも悩みすぎて、自分でもどうしていいかわからなくなっちゃいましてね。それで上地雄輔くんに相談したんです。「何を目標にしていいのか、正直わからないんですよね」「今後、僕はどうしていけばいいんですかねぇ」みたいな感じで。

そうしたら、上地くんから一喝されたんです。「仕事をナメるな!」って。上地くんが言うには、自分はマネージャーに8年間も名前を覚えてもらえなかった。8年間の間にいろんなバイトもやったし、苦しい思いも山ほどした。それに比べたら、お前の苦労なんて大したことないはずだと。

当時は僕も甘ったれていたんで「はぁ? なんでそんなこと言われるのかなぁ」と思ったんです。だけど、上地くんが怒るのは当たり前ですよね。だって他人に相談するときって、明確な質問内容が普通あってしかるべきじゃないですか。僕の場合はぼんやり思ったことを口にしているだけで、相談にも質問にもなっていないんです。これじゃ話を聞いているほうもアドバイスしようがないですよね。つまり他人に相談する前の段階であって、まずは自問自答をしてから上地くんのところに行くべきだったんです。

上地くんに怒られたことで闘志に火がついたことは事実でした。そこで決めたのは、30歳までに売れなかったらスッパリ辞めるということ。親からも「どうするの、あんた? これで食っていく気があるの?」とか言われていましたし。「いや、俺はこれでやっていくんだよ」とか啖呵を切っていましたけどね。それはもう自分にプレッシャーをかけるためでした。

結果的には27歳のとき、特撮『宇宙戦隊キュウレンジャー』のオーディションに受かったことで一命を取りとめたわけですが。27歳という年齢は、特撮ではかなりギリギリなんです。新進気鋭の若手俳優が次から次へと出てくる世界ですから。本当に土俵際の状態でした。

AUTHOR

小野田 衛

CREDIT

撮影/西邑泰和


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