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UPDATE|2019/12/28

吉本坂46・榊原徹士が語るどん底時代「お金以上にきつかったのは“自分には何もない”という感覚」

撮影/西邑泰和

2009年にバラエティ番組『人生が変わる1分間の深イイ話』から生まれた5人組アイドルユニット・新選組リアンのメンバーとしてデビュー。デビュー直後から数々のゴールデン番組に出演した。榊原徹士のタレント活動はこれ以上ないぐらい順調な滑り出しだった。


だが、2011年にグループの生みの親でありプロデューサーの島田紳助が芸能界を引退すると、その活動に陰りがさし始める。セルフプロデュースで1枚のシングルを発売するも、その後シングルは発売されなくなり、2014年に解散。グループ解散後はさらにファンの数も減り続けた。デビュー時の輝きが眩しかった分、長く深く感じられた不遇時代、榊原の意識を変えたのは、あの人の一言だった。

その後、 “ギリギリの年齢で”『宇宙戦隊キュウレンジャー』のオーディションに合格し、2018年には悩んだ末に受けた吉本坂46のオーディションにも合格。現在は、俳優とアイドルの2つの顔で活動する榊原徹士に不遇時代の話と、そこから立ち直ったきっかけについて聞いた。

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新選組リアン解散後、生活は常に苦しかったです。役者になろうと決めていたんですけど、もちろんそれだけじゃ食えないからバイトのシフトも山ほど入れていましたし。月27日間、朝6時30分から夜11時までサラダ屋で働きづめでした。

だけど、お金のこと以上につらかったのが「自分には何もない」という感覚。なんの下積みもしないままテレビの力でパッと世に出てきて、そのままチヤホヤされてきたわけですからね。たとえ売れなくなっても、「俺にはこれがある!」という自信があればメンタル的には乗り切れると思うんです。だけど、僕は何かのプロフェッショナルでは決してなかった。歌唱力とか演技力とか、他人に誇れるはっきりしたものが何もなかった。そのことが最大のコンプレックスでしたね。

そもそも新選組リアンに入る前、僕は芸能人になりたかったわけでもアイドルに憧れていたわけでもなかった。本当にそのへんにいる大学生の軽いノリで、友達と一緒に応募しただけなんですよ。「落ちたらネタになるよな」くらいの感覚で。もうその時点でダメなんですよね。芸能界をなめているわけですから。
AUTHOR

小野田 衛

CREDIT

撮影/西邑泰和


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