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UPDATE|2023/04/22

50歳で地元・九州へUターン、ダイノジ・大谷が語る「東京で大成功する、以外の芸人の生きる道」

撮影/松山勇樹

今年結成29年目、50歳という人生の一つの節目を迎えたお笑いコンビ・ダイノジが4月より活動拠点を地元・九州に移した。「東京のテレビで冠番組をとる!」それを目標に遮二無二頑張っていた20代とは全く違う決断…。だが、芸人の生き方はきっとひとつではない。いろんな道があっていい。大谷ノブ彦に「学生時代、イヤでイヤでしょうがなかった」地元に戻ることにした理由、そして見据える新たな人生について聞いた。

【写真】九州への「Uターン」について笑顔で語るダイノジ・大谷ノブ彦【4点】

――九州移籍へのニュースが出たとき、ものすごい反応がありましたね。

大谷 いやあ、正直ビックリしましたね。マネージャーから「ニュースリリース出しますね」と言われたときは、「誰が反応するんだ?」と思ったのですが、いろんな方から連絡いただいて、だいぶ驚かれましたね。

――今回の九州への移動は大谷さんから切り出したそうで。

大谷 そうですね。この数年ずっと九州で仕事もしてきたので、ずっと移住は脳内にはあったんです。実は数年前に、大阪吉本へ移籍しないか?という話をもらっていて。僕も漫才が上手になりたかったし、大阪から東京進出という流れが多い中で大阪進出はかえって面白いなと思い前向きに考えていたんです。そんな感じなので東京から出ていく考えは、今に始まったことではなかったんですよ。

それに3年前にコロナが始まり、僕らをとりまく環境がガラッと変わってしまって。まず、仕事の形。今劇場の世代交代が進み配信のパイを持った子たちが中心になったことで、僕らの世代はもちろん師匠クラスでも立てる機会は限られてきたんです。

それに、二人ともコロナをはじめ体調を崩すことが増えて。同級生からも体調面での不安を聞かされる機会が増え、もう俺らが元気に仕事できる時間ってあまり残ってないな……と実感したんですよ。それなら、九州に戻って新しい一歩を踏むか!と傾いていったんです。

――かつて大谷さんは地元がイヤで仕方なく、東京へと出てきたと聞いています。

大谷 確かに学生時代はイヤでイヤでしょうがなかったですねえ。ただ、自分たちが一生懸命やったときに意外に応援してくれたり、篤く仕事に呼んでくれたのはやはり地元・大分県であり九州だったんです。俺らもなんだかんだ歳くって、大分特有の甘い醤油が体に合ったりと馴染んだ食べ物が身体に合ってきて。九州に行くたびに、やっぱ魅力的な街だなと思うことが増えていく一方で。「ああ、大分の人間だ。大分好きだな」と、年々実感するようになって。結果、九州に還元したいという気持ちが日ごとに増してきたんです。
AUTHOR

田口 俊輔


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