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UPDATE|2019/04/29

そしてあの夜は伝説となる…指原莉乃 卒コンの最終曲が『桜、みんなで食べた』だった意味

4月28日に横浜スタジアムで開催された指原莉乃卒業コンサート (C)AKS



アンコールは指原の長い挨拶で幕を開けた。

その内容はテレビのワイドショーやネットニュースで繰り返し報じられているので、あえて、ここで掘り返すことはしないが、あまり報じられなかった中で心に残ったのはHKT48のコンサートスタッフとで出会ったことで「アイドルとしての寿命がすごく延びたような気がします」というひとこと。

平成が終わるという大きな歴史の区切りで卒業を決断した指原だが、それは必然ではなく、アイドルとしての寿命が延びたことで、たまたまこのタイミングと重なった偶然だったのだ。そして、これはメンバーに対して「HKT48でがんばっていれば、長くアイドルとして活動できるよ」というメッセージにもとれる。実際、姉妹グループに比べて、HKT48は圧倒的に卒業するメンバーが少なく、1期生もまだまだたくさん残っている。

指原莉乃は平成でアイドルとしての歴史を閉じるけれども、HKT48は令和も生き続けていかなくてはいけない。

正直な話、何度も「あぁ、これは平成アイドルブームの最終回なのかもしれない」と思ったし、OGまで揃った光景には、ほんの少しHKT48の総決算的な空気も漂った。ただ、そのたびに指原はそんな空気をぶっ壊し、最終回感を薄れさせてくれたのが印象的だった。

その最たるものは、オールキャストによる『恋するフォーチュンクッキー』で大団円を迎え、このままエンディングか、と思われたあとに、あえてHKT48の楽曲『桜、みんなで食べた』で締めたこと。明るい卒業ソングであり、この日、ステージに揃っているめるみおがセンターを務めた楽曲。AKB48で生まれたアイドル・指原莉乃は、あくまでもHKT48の一員としてアイドル人生の幕を閉じた。

最後の瞬間。

上空高く舞いあがった指原は、いつものコンサートと同じように「これからもHKT48を応援してくれるかな?」と客席に問いかけ、3万人が「いいともー!」と絶叫した。このコール&レスポンスの正統継承者(指原は『笑っていいとも!』終了時のレギュラー出演者である)のラストコールによって、暦よりも2日早く、平成という時代は間違いなくグランドフィナーレを迎えた。

平成という時代、特にラスト10年は間違いなく「アイドルの時代」だった。

その時代の頂点に立った指原莉乃は、平成31年4月28日の時点で、誰もが認める「日本で一番有名なアイドル」であり、アイドルを卒業しても、バラエティー番組での露出はまったく減ることはない(バラエティー番組ではできなくなるから、と、この日、やたらとウインクを連発していた)。

そんな彼女の意志を引き継ぎ、令和も「アイドルの時代」を継続させることがHKT48の使命。あと10年、活発に活動できれば令和どころか、21世紀が「アイドルの世紀」と呼ばれるようになる。令和2年に新劇場がオープンし、令和3年には宮脇咲良と矢吹奈子も帰ってくる。そこに指原が書き下ろす新公演が加わるのだから、もはや希望しかない。

平成のラストにアイドル業界を襲った大逆風を、みずからの卒業コンサートで一旦、止めてみせ、それをHKT48の、そしてアイドル業界全体への追い風に変えて去っていった指原莉乃。この卒業コンサートが「伝説の一夜」として語り継がれるかどうかは、これからのHKT48の活動にかかっている。

指原が最後の挨拶をしているとき、横浜港から大きな汽笛が何回も聴こえてきた。これは演出でもなんでもなく、偶然、大型クルーズ船の出港時間と重なっただけのようだが、HKT48が令和へと旅立つ壮大な汽笛にも聴こえた。あのとき「いいともー!」と叫んだ3万人には、ぜひとも彼女たちの新しい航海を注視していただきたい。
AUTHOR

小島 和宏


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