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UPDATE|2019/04/28

SUPER☆GiRLS 25歳・異色の新人金澤有希「それでも私がアイドルを続ける理由」(前編)

SUPER☆GiRLS 金澤有希 撮影/河野陽太



──競技は何を?

金澤 中学校ではバスケットボール、市のスポーツクラブでは陸上。それに加えてタッチでのアイドル活動がありましたからね。だから正直言って、中学の3年間では遊んだ記憶が一切ないです。帰りにみんなで寄り道して遊ぼうって話になっても、私だけ先に部活やタッチの現場に向かっていました。さっき告白とか話がチラッと出ましたけど、正直、恋愛どころじゃなかったです(苦笑)。

──いきなり結論が出てしまったかもしれない。その苦境からスタートしたのだったら、そりゃ今でもアイドルを続けられるでしょうね。

金澤 とにかく何が辛いって、寒さが一番キツかったですね。すごく印象に残っている出来事があるんですよ。野外でイベントをやる場合、セッティングがあるから私たちはステージが始まる何時間も前から会場入りするんです。

──セッティングというのは、PAの配線とか椅子の配置とか導線の確保とか?

金澤 そういうことも含めて全部自分たちで行いました。セッティングを済ませて、お客さんもいない外の会場の隅っこで、メンバーは円になってヒーターを囲むんです。もちろんミニスカートの衣装のまま。そうすると、あまりにも寒すぎて手足の感覚がなくなってくるんですよ。みんな無言でヒーターを見つめているんですけど、寒さで感覚がないものだから、気づいたらヒーターの熱で手袋が溶け始めていて……。「あっ、ヤバい! ヤバい!」って、そこでハッとするわけです(笑)。

──自分の手袋が燃えていることにも気づかない苫小牧の寒さ(笑)。

金澤 まぁそんなこんながありつつも、気づいたら結構な年月が経っていたんですけど……。タッチには小学校5年生から高校1年生までいました。

──えっ、なぜそこまで長く在籍したんですか!? 話を伺ったら、過酷な活動環境じゃないですか。

金澤 確かに辛かったです。当時も友達からは「よく続けていけるね」とか言われていましたし。でも、同時にやりがいはすごくあったんです。タッチのプロデューサーの方は苫小牧市議会の議員の方で、そういう関係もあって、老人ホームとか少年院を訪れる機会も多かったんです。訪れた先々でお年寄りの方や、同年代の方にかけられた言葉は、私たちにとっても本当に励みになりました。他にも、苫小牧市で大きなお祭りがあると、必ず出演させていただいていたんです。普段のタッチは路上ライブがメインだったので、人が大勢集まるお祭りに出演するという事はすごく大きなチャンスなんです。「この人たちが少しでもタッチを好きになってくれたら……」って考えると、なんだかワクワクしてくるんです。あと一番大きいのは、“アイドルが好き”だっていう気持ちですよね。その部分だけは、ミニモニ。さんに夢中になった幼稚園年長のときから1ミリも変わらなかったです。

──なるほど。理不尽なことばかりでもなく、未来への夢もたくさんあったというわけですね。

AUTHOR

小野田 衛


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