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UPDATE|2019/03/31

つんく♂がモーニング娘。メンバーに見せた「新しい卒業の形」


時系列を追っていくとそれはまさに“激動”である。まず年明け間もない1月3日に、辻希美と加護亜依が揃って卒業を発表。続く1月25日、前年から予定されていた安倍なつみの卒業ライブが横浜アリーナで行われ、さらに約4カ月後の5月23日には飯田圭織と石川梨華が翌年の卒業を発表。1月1日時点で14名が在籍していたモーニング娘。は、たった半年で約4割のメンバーが卒業確定者になっていった。

しかもファンを驚かせたのは、その卒業のいずれもが、所属事務所側からの相談を起点として決まっていたことだった。実際に2004年末に出版されたエッセイ本でも、辻、加護が自分たちの卒業を伝えられた瞬間を事細かに語っている。

「卒業って聞いたのは、年末の紅白の終わりです。普通に何も知らされてなくて」(辻)(※1)

「悲しいとか言う前にびっくり。まさかのまさかだったから」(加護)(※1)

なぜ所属事務所はこの時期、メンバーたちに積極的に卒業を促していたのか。プロデューサーのつんく♂がこの時期を振り返り、やはり語っていた言葉がある。

「時代はCDが売れない時代に突入したし。下手にソロで出して、ランキングが悪いと終わった感も強くなる」「どっちみちもう、ピークのときのようなことは出来るとは思っていなかったから、それよりも早く、それぞれが自分の道を切り開いた方がきっといいという感覚ではありました」(つんく♂)(※2)

モーニング娘。が平成に名を残すことになった理由の1つは、メンバーの才能が熟成しても解散はせず、個々の卒業とオーディションによる加入を繰り返すことでグループを存続させていくという、 今までになかった「卒業加入システム」を採用したことにあった。

しかし解散という区切りがないままずと続いていくグループの環境は、成長後も芸能活動を継続したいと望むメンバーの中ではアイドルとしての引き際を逸するという、一種のゆがみも生み出し始めていた。

「どんどん辞めにくくなるよって、しょっちゅう言っていました」(つんく♂)(※2)

グループの存続を考えながらも、モーニング娘。に青春を懸けてくれた者たちの人生も考えなければならない。時代の境界線で頭を悩ませていたのは、つんく♂を含めた周囲の大人たちもまた同じだった。
AUTHOR

乗田 綾子


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