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UPDATE|2019/03/23

「よりよい未来のために」モーニング娘。高橋愛が耐えた痛み


またこの時期を境界線として、モーニング娘。の楽曲制作にもちょうど大きな変化があった。それはレコーディングにおいて、それまでつきっきりでメンバーに歌唱指導をしていたプロデューサーのつんく♂が、他のスタッフに制作工程の大部分を託すようになっていたことだ。

モーニング娘。のブレイクとその後のプロデュース企画の急増により、以前のようにスタジオへ通うことが難しくなったつんく♂は、この頃から歌唱指導を自身が歌う仮歌の音源提供へと変更する。歌を聴きこんでもらう形にしたのは多忙な中にも貫かれたボーカリスト・つんく♂のこだわりだったが、その一方でつんく♂はふと、こんな言葉も漏らしている。

「4期メンバーくらいまでは、当時みっちりつきあったぶん、(楽曲の)理解の深さは全然違うと思いますね」(つんく♂)(※5)

この言葉を読み解くとつまり5・6期のメンバーたちは、すでにその成長のスタート時点から、モーニング娘。として見ていた景色がそれまでとは全く違うものになっていたということである。にもかかわらず何も知らない少女たちは、モーニング娘。という大きな看板を偉大な先輩たちと並列に背負い、前時代のような強烈な個性を探し求めて、生きていかなければならなかった。

こうして見ていくと『ASAYAN』の系譜を外れたメンバーの加入も、そしてあのハロプロの大変革(通称「ハロマゲドン」)も、流行り廃りの激しい芸能界の中でモーニング娘。を筆頭としたハロー!プロジェクトが長期的に活動を続けていくための、未来のための構造改革であった、とも考えることができる。

しかしまだ大きな成功体験から日の浅い当時は、ファンの大半が変わりゆく国民的アイドルグループの姿に戸惑いを隠せず、5・6期加入後のモーニング娘。はこの時期からだんだんと、オリコン初登場1位を逃すことが増えていった。

そして変革の代償として生まれたその大きな“痛み”も内包したまま、アイドルの聖域なき構造改革は、2003年7月の安倍なつみ卒業発表を皮切りに、ここからさらに速度が上がっていく。


モーニング娘。19枚目のシングル『シャボン玉』(2003年7月30日発売)。6期加入後初のシングル


※1『モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック」(ワニブックス)
※2『モーニング娘。コンサートツアー2011秋 愛 BELIEVE ~高橋愛 卒業記念スペシャル~』(2011年9月30日)ライブMC
※3『タナカめせん』(エンターブレイン)
※4『道重さゆみパーソナルブック「Sayu」』(ワニブックス)
※5『モーニング娘。×つんく♂2』(ソニー・マガジンズ)
AUTHOR

乗田 綾子


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