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UPDATE|2019/03/23

「よりよい未来のために」モーニング娘。高橋愛が耐えた痛み


しかも彼女たちが加入した頃のモーニング娘。はすでに完成された大成功コンテンツになっていた。5期と同世代だった4期の辻加護コンビも含め、それまでの加入メンバーは全員がすでに強烈な個性をウリにテレビの人気者となっている。

「スタッフさんからも『4期見て学んで、もっと個性を出しなさい。つるんでばかりいないで』なんてこともよく言われて、泣いて」(高橋)(※2)
「私達には何が足りないのかなって」(高橋)(※1)

そして先輩たちとの差をなかなか埋められない5期が苦悩の真っ只中にいた2003年1月、さらなる新戦力が加わることが発表された。6期メンバーとして選ばれた藤本美貴、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなの4人である。

藤本は当時すでにソロアイドルとしてその地位を確立しており、2002年の暮れにはNHK紅白歌合戦への出場も果たしていたが、その紅白の楽屋で藤本は突然、モーニング娘。入りを通達された。

また亀井、道重、田中もオーディションの合格とほぼ同時に、何の前知識もないまま、モーニング娘。の新プロジェクト「さくら組」「おとめ組」のメンバー入りを告げられている。

モーニング娘。を分割することで大人数編成では対応できない小さな会場でのライブを可能にする、そんな構想の元に立ち上がったこのプロジェクトだったが、藤本を除く新メンバー3人にとっての初撮影は、16人のモーニング娘。としてではなく、さくら組おとめ組に分けられたスタジオ収録だった。

そして6期の彼女たちもまた、気づけばこの時代特有の“痛み”に耐える日々を過ごすようになっていく。

「(当時はおとめ組に)「なんで入ったんだろう?」とか、思ってた」(田中)(※3)

「(デビューまもない時期の分割ユニット参加は)人数も少ない分、よけい悪目立ちしちゃうから大変だった」「おとめ組は振り付けも難しいし、ダンスの覚え方もわからなくて……」(道重)(※4)

実は彼女たち5・6期のモーニング娘。人生の始まりは、グループが『ASAYAN』から巣立った、その時期とちょうど合致している。モーニング娘。を結成から見守り続けてきた『ASAYAN』が2001年にリニューアルし、同時に制作スタッフも一新されたことで、モーニング娘。はそれまでのテレビ的アイドルストーリーから解き放たれ、グループ自らが物語を紡いでいく形に変化している。
AUTHOR

乗田 綾子


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