仲村「同期が先に昇格したタイミングで初めて焦りを感じました。それまではダンスを覚えることに必死で、誰が先に昇格するかなんて考える余裕がありませんでした」
先を走る同期から遅れて昇格することはできたが、スタート地点は同じだった仲間たちの背中がやけに遠くに感じられた。その後も目立った活躍はできなかった。限られたメンバーしか呼ばれない、シングルの選抜になったことは6年弱のキャリアで一度もない。
幼少期、全国的なAKB48ブームが起きた。仲村も大阪の地でこのブームの波にのまれていた。板野友美のファンになった。私もいつかアイドルになりたい。そう思うようになっていた。
仲村「その夢は家族にも話していました。かわいい衣装を着て、歌って踊る人になりたいと思っていました。それか、バラエティ番組が好きだったから、テレビに出る人になってみたかった。テーマパークに行ったら並ばずに乗れるのかななんて思って(笑)」
小学校では人見知りだった。勉強も運動も平均。身長は低い。学校で目立てる場面はなかった。
仲村「大阪だと面白い人がクラスの中心になるじゃないですか。そういう人たちにも私は興味がなくて。何も考えずに生きていました。家に帰ったらテレビを見るかゲームをするか。そんな毎日でした」
ある日、地元・大阪に秋元康プロデュースのアイドルグループができると聞いた。チャンスだと感じたが、NMB48に申し込むには年齢が足りなかった。
中学に上がると、現実を知る。アイドルになる自分を想像できなくなった。いつしか諦めるようになったが、心のどこかにある根っこが絶えていたわけではなかった。
仲村「高校2年の時、NMB48の5期生に応募してみたんです。そうしたら、三次審査まで通って、最後の17人に残ることができました。しばらくレッスン場に通って、最終セレクションを受けることになりました。でも、最後の審査に落ちてしまって、アイドルになることはできませんでした」
挫折だった。それでも、アイドルまで手を伸ばせば届くところまで近づけた。夢だったアイドルが現実に感じられた。次のオーディションを探すと、名古屋のグループがヒットした。
仲村「最終セレクションに落ちた数か月後、今度はSKE48を受けたら、なんとか合格できました。同期に聞くと、私が一番大泣きしていたみたいです。大阪の同級生には1人だけ伝えました。『私、アイドルになるから名古屋に行くんだ』って」
17歳を前にして名古屋での一人暮らしが始まったが、がらんとした部屋で趣味のゲームをしていれば寂しさは感じなかった。それは何年も変わらない。しかし、グループ内の出世レースに後れを取っている現実に変わりはなかった。