FOLLOW US

UPDATE|2022/06/29

「結婚」「音楽のジャンル」「ソロ活動」中島卓偉、ロックミュージシャンとしての葛藤の23年を語る

中島卓偉



──デビュー当時の卓偉さんはビジュアル系みたいなイメージも先行して、女子人気が高かったです。思えばそこから大きく路線は変わりましたよね。

卓偉 ビジュアル系か……。確かに僕はステージで化粧をします。でもそれはビジュアル系じゃなくて、グラムロックの枠なんですよ。ZIGGY、ハノイ・ロックス、ニューヨーク・ドールズがメイクするのと同じ。あるいはザ・ストゥージズの頃のイギー・ポップだって、メイクはするけれど中身はパンクスじゃないですか。日本だとビジュアル系が大ブームになったから、どうしても一緒にされがちなのですが。

──確かにマイケル・モンローは、ホストみたいな格好はしないはずです。

卓偉 実はそのへんはすごく苦い思い出がありましてね。自分がバンドを組んで世に出た90年代の終わりというのは、世の中的にビジュアル系が一大ムーブメントになっていたんですよ。そうするとやっぱりレコード会社としても、似たようなメイクや衣装をさせた方が雑誌にも載れるしライブでも動員できるということになる。それで僕は着たくもない服を着させられていた時期があるんです。たとえば雑誌の取材が入るとするじゃないですか。現場に着くと「これに着替えて」とビジュアル系っぽい服が用意されているんです。これを着たらビジュアル系だと言われることも分かっているけれど、「じゃあ売れなくてもいいのか?」という話になる。

──しんどい話ですね。袋小路じゃないですか。

卓偉 僕もまだ右も左も分からず、大人と喧嘩することもできなかったですしね。僕自身はビジュアル系を聴いたこともないのに、ビジュアル系ばかり載っている雑誌に出ることの罪悪感もありました。だって、真面目にビジュアル系をやっている方にも失礼じゃないですか。当時、僕は高円寺に住んでいたんですよ。そこにはジャンルこそ違うけれど夢に向かって頑張っている若い奴らがいましてね。劇団員、板前、ミュージシャン……いろいろな卵たちが集まって遊んでいたんです。僕はその集団の中で一番最初に世に出ることになりまして。ある日、溜まっていた沖縄料理屋に行くと、自分が載っている雑誌を出しながら「何だよこれ。お前、パンクスじゃなかったのかよ」とか冷やかされたんです。それでも僕は何も言い返せず、そのまま大喧嘩になって……。そのへんの葛藤は『高円寺』という曲の中でも書かせていただきましたが。

──あまりにもホロ苦い青春群像です。ところで卓偉さんってソロでキャリアをスタートさせましたけれど、アマチュアの頃はバンドで活動していましたよね。これはどういった流れだったんですか?

卓偉 そのへんの話をするのは久しぶりだな……。そのバンドはドラムがいなくて、ギターとベースと僕という3人構成だったのですが、曲は全部僕が書いていたんですね。そのことが不満だったんです。要するにこっちはジョン・レノンに対するポール・マッカートニー、あるいは氷室京介さんに対する布袋寅泰さんみたいな相棒を探していたんだけど、それができなかった。もちろんバンドにはMr.Childrenにおける桜井和寿さんやスピッツにおける草野マサムネさんみたいなスタイルもありますよね。実際、そっちの方が長く安定的な活動はできると思う。だけど僕としては、それが嫌だった。やっぱりバンドだったら、他のメンバーと練り上げていくような感じにしたかったので。いわゆるバンド・マジックみたいなものに対する強烈な憧れがあったんです。

──メンバーチェンジは考えなかった?

卓偉 もちろん考えましたよ。「いい奴いないかな?」って対バンのときもずっと探していましたから。でも、ダメだったんですよね。運命的な出会いがなかった。考えてみたらミック・ジャガーとキース・リチャーズも駅のホームで運命的な再会を果たしたというのに、自分は地元福岡でも東京でも「これだ!」という男に出会えないまま。これはもう出会いの運がなかったとしか言いようがないと思う。それでも動員は順調に伸びていって、いよいよレコード会社から声もかかった段階で、僕は冷静に「このままで大丈夫かな?」と考えていたんですね。当時の事務所からも向こう3年くらいの大まかな計画をバーッと提示されたのですが、その瞬間に「これは無理だ」と自分の中で結論が出まして。「すみません、解散させてください」ってすぐに伝えました。

──そんな経緯があったんですね。

卓偉 ソロ名義でもバンドサウンドでやっている方はいくらでもいるし、そこは自分の名前で覚悟を決めてやっていこうと思いました。そう決めたのがデビューした21歳のときですね。それからいろいろありましたけれど、その21歳のときの覚悟は今に至るまでまったく変わらないです。

>>後編はこちら

(取材・文/小野田衛)

▽中島卓偉(なかじま・たくい)
1978年10月19日生まれ。1999年にロックミュージシャンとしてデビュー。現在活動は23年目に突入している。2001年頃より楽曲提供を始め、ハロプロに提供した代表曲に『My Days for You』(作曲)、『大器晩成』(作詞・作曲)、『次の角を曲がれ』(作詞・作曲)、『就活センセーション』(作詞・作曲)など。
■公式サイト:http://takui.com/
最新曲MVhttp://takui.com/pages/movie/
最新曲視聴:https://linkco.re/eRddQHf8
■Twitter
@takuinakajima
ライヴ情報:7.10()東京 原宿RUIDO ◇ 8.13()東京 Veats Shibuya ◇ 8.14()大阪 OSAKA MUSE ◇ 8.17()名古屋 Electric LadyLand
CREDIT

取材・文/小野田衛


RECOMMENDED おすすめの記事