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UPDATE|2022/03/18

ジョイマン高木が語る“一発屋芸人”時代「受け入れることができなくて、外を歩くのも嫌でした」

ジョイマン高木 撮影/武田敏将

2008年『爆笑レッドカーペット』などで大ブレイクしたお笑いコンビ「ジョイマン」。しかし、そのブームは約2年で終了。高木晋哉はTwitterでエゴサーチを繰り返し、「ジョイマン消えた?」というツイートに対して、「ここにいるよ」とリツイートで答え始めた。次第に、安否確認のリツイートをし続けている高木のTwitterが注目を集め、「この先 菅田将暉週7 小松菜奈」で20万件のいいね!を獲得するなどタイムリーな韻がバズるように。そんな高木の哀愁ツイートとラップネタを収録した書籍『ここにいるよジョイマン・高木のツイート日記』(ヨシモトブックス)が、3月17日に発売された。今回、高木にツイートを投稿してきた際の心境や、ブレイクでの手応えから苦戦を強いられた時期まで、心境を聞いた。(前後編の後編)

【前編はこちら】フォロワー30万・ジョイマン高木が「消えた」ツイートにわざわざ「ここにいるよ」とリプする理由

【写真】Twitterがバズリ中、ジョイマン高木

──2008年年頃はショートネタブームもあってジョイマンはブレイクしますが、しだいに人気がさざ波になっていくなかで、芸風を変えようと考えたこともありますか?

高木 めちゃくちゃもがいてました。ラップのない普通のコントに挑戦したんですけど、やっぱり楽しくない。だから、ジョイマンのネタのバージョンを増やしたんです。ロボコップのような仮面を被って「メカゴー」と言う「メカジョイマン」だったり、ちょんまげを被って「いざごー」と言う「侍ジョイマン」だったり。

──めちゃくちゃ面白そうですね(笑)。

高木 聞いてる分には面白いかもしれないけど、実際に観た人からは「やりたいことはわかるけど」という反応が返ってくるんです。その結果、「やっぱりプレーンなジョイマンがいいな」と落ち着きました。

──ふさぎこんだ時期もありましたか?

高木 ありましたね。その時期は「一発屋芸人」という言葉を受け入れることができなくて、外を歩くのも嫌でした。ムーディー勝山さんやレイザーラモンHGさんの一発屋オールスターズに入れてもらってから、ようやく「一発屋で~す」と胸を張って言えるようになったんです。「サイン会0人」で底を見たことも大きかったと思います。落ち続けて、落ち続けて、やっと底についた。ここからは登ればいいだけだ、と吹っ切ることができたんです。

──書籍『ここにいるよ』には過去にツイートしたラップも収録されています。

高木 活字のほうが伝わることもあると思って実験的なラップも書きました。1文字でラップできないかと「わ~ 輪」と書いたら、「雑なんじゃないですか?」「ラップじゃないと思います」とお叱りの声をいただきました。

──高木さんはラップ芸人の先駆けですよね。

高木 それまでもラップを取り入れたネタをやる芸人はいたけど、そんなネタを見ているうちに「もっと飛ばしたほうがいいんじゃないか」と思ったんです。それで、意味は関係なく語感だけのラップで全編やってみようと作ったのが「ななななー」のネタでした。


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