――では、小学生時代のキッズモデル以降は、特に芸能活動的なことは何も?桜井 そうですね。アイドルになりたい気持ちは変わらずありましたが、ずっとアルトサックスを習わせてもらっていて、お金もかなりかけてもらっていたし、親からは「サックスを頑張りなさい」と言われていましたから。高校生のうちは「アイドルになりたい」なんて言えませんでしたね。もし、ここで本音を打ち明けられていたら、今頃アイドルをやっていたかもしれない。でも私は、高校を卒業して、自分で責任を負えるようになってからじゃないと、夢に向かって動けなかったんです。
――高校卒業後は早速、夢に向かって?桜井 普通に就職をしましたが、キッズモデル時代の事務所に籍だけ置いてもらっていたので、仕事が休みの日には、イベントコンパニオンのアルバイトをやらせてもらっていました。そしたら、イベントで出会った方に「本格的にレースクイーンを目指してみたら?もしくはグラビアもアリなんじゃない?」と言われたんです。私もグラビアを見るのが好きだったしやってみたかったので、当時のマネージャーさんに相談したら「北海道では無理だけど、事務所の子で、東京に行ってグラビアをやっている先輩は何人かいるよ」と。それで、私も東京に行って、グラビアアイドルになろうって思ったんですよね。
――歌って踊れるアイドルではなく、グラビアアイドルを目指すようになったんですね。桜井 はい。私、アイドルになるにしても地下アイドルがよかったんですよ。なぜなら、既にメジャーなアイドルに加わるよりも、地下アイドルになってイチから積み上げていく方が大変そうだから。どうせやるなら、自分の力で努力して上を目指したかったんです。自分を追い込んでこそ、熱くなれるタイプなので(笑)。となると、多分、グラビアアイドルの方が性に合っていると思ったんですよね。アイドルは、尊い存在として応援する側でいようと。あえてアイドルオーディションも受けませんでした。
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