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UPDATE|2021/09/08

ダンカンが語る90年代テレビ業界の豪快伝説「あの頃のテレビって自由だったんだなぁ」

ダンカン 撮影/西邑泰和



――当時のテリーさんの思い出で印象深いことはありますか?

ダンカン よく覚えているのが、テリーさんとは、毎週、企画会議をしていたんですよ。10人くらいの構成作家が集められて、企画書をコピーしたものをテリーさんに提出。まず書類に目を通す。その後1人ずつ発表する。テリーさんは総合演出でネタが欲しいから揃ったらすぐに見るんですね。嬉しいことに、テリーさんは僕の企画書を見ると、「うーうー」って唸りながら企画書の端っこを食べはじめるんですよ(笑)。「これだ!」って(笑)。自分の世界に入りこんでいるから、興奮して食べちゃうんですけど、そういう様子を見ると、面白いものを書いてよかったなと思いました。

――食べちゃうとは……めちゃくちゃですね(笑)。

ダンカン テリーさんは、(バラエティ番組の演出で)稲川淳二さんにマムシのプールを泳がせたりした人ですからね。

――現在『アメトーーク』や『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系列)などで活躍されている放送作家のそーたにさんが『ダンカンの企画書』にコメントを寄せています。『元気が出るテレビ』で若手の放送作家同士共に過ごしたそうですが、当時の印象は覚えています?

ダンカン もちろん! 最初の印象が身長の高いぼーっとした男で、絶対結婚できない人だなと(笑)。幼児とか誘拐しないだろうかと心配していましたね。そーたにの最初の企画とか覚えてますよ。当時、パチンコ屋さんでは軍艦マーチが基本的なBGMで、パチンコ屋さんの前を通り過ぎると行進する人はいるのか?という企画でした。多分、その頃は年配の方で軍隊に行った方が、まだ多くいらっしゃったので、確かにいるのかなと。実につまらない企画ですが(笑)、印象に残るネタだなとはっきりと覚えてます。

あと、そーたには、僕が東京プリンスホテルで結婚式を挙げた時に、芸能人の方とかもいらっしゃってる中、500円しかつつんで持ってきてくれなかった(笑)。でも、何かうれしかったから“いいよ”って。元々、そーたにって、名前も漢字表記だったのに、僕の名前を番組のエンディングで見て、「‟ダンカン“がカタカナで目立つから」と、自分も目立つようにとひらがなにしたんですよね。


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