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UPDATE|2021/09/08

ダンカンが語る90年代テレビ業界の豪快伝説「あの頃のテレビって自由だったんだなぁ」

ダンカン 撮影/西邑泰和

〝たけし軍団〟の一員であり、放送作家としての顔を持つダンカン。かつて自身が手掛けた、伝説のテレビ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)や『風雲! たけし城』(TBS系列)などの手書きの企画書が発掘され、今回、一冊の書籍『ダンカンの企画書』(8月30日発売/スモール出版)となった。1980年代半ば〜90年代半ばの、現在では考えられない“規格外”なテレビ業界について、また裏方としても携わった師匠ビートたけしの番組について話を聞いた。(前後編の前編)

【写真】ダンカン直筆『風雲! たけし城』説の企画書

――『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』など、かつてダンカンさんが放送作家として手がけられた番組の企画書が、実家の物置から大量に発掘されたそうですね。それらが一冊の書籍『ダンカンの企画書』になりました。日本のテレビ史においても貴重な資料だと思うのですが……。

ダンカン 当時の企画書を改めて見て、自分たちは、テレビのすごくいい時代に住まわせてもらったんだなと実感しました。今だったら「この企画、お金かかるからダメだよ」とか「上が納得しないからダメだよ」とか削除されるものばかりだったと思うんですよね。当時、ディレクターの誰かが「いっちゃおうか!」と言えば、現実的に放送する可能性がありました。だから本当に当時のテレビって自由だったんだな~って。他人事みたいですよね(笑)。

――80年代や90年代のテレビ業界は、番組にかける経費も多く使えた時代だったんですか?

ダンカン そうですね、今の4~5倍は使えていました。特番ともなると、ちょっとした映画1本分くらいの……億とか使えましたね。だって、普通に考えてみてくださいよ。バスを1台借りる、というか何十万円で買って、大きなクレーンを何台も用意する。さらに1日のクレーンのリース代で50万くらいですよ! 車同士のぶつかりあいを撮るとなったら、20台くらい使っているんですよ。それが2時間の特番とかじゃなくて、あくまで特番内の10分くらいの1コーナーで! どんだけお金を使えたの!? ってなりますよね。

――映画が1本撮れそうなくらいの予算があったんですね! 今では考えられません。

ダンカン 実際、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(日本テレビ)を、当時総合演出のテリー(伊藤)さんが、「これ、映画にした方が面白いんじゃない?」と言ってましたね。


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